風刺画/10分でわかるアート
2023年3月29日
特別展「表装の愉しみ -ある表具師のものがたり」/泉屋博古館
「表装」。言葉は知っているけど、あまり意識したことはない人が多いかもしれません。
ふだんは書画を引き立てる脇役である表装。また、表装を仕立てる「表具師」の仕事にスポットを当てた興味深い展覧会が、京都・泉屋博古館で開催されています。
会場エントランス
「表装」は、観賞や保存のために布や紙に書画を貼って掛軸や巻物、屏風などに仕立てる東アジア独自の書画芸術。
日本には平安~鎌倉時代に中国から伝来し、独特の様式が生まれました。用いる布は「裂(きれ)」と呼ばれ、さまざまな種類があり、配置や組み合わせで絵の意味や格をあらわします。
展示風景
会場に入るとずらりと並んだ掛軸。
思わず書画に目が行きますが、今回注目するのは「表装」です。まずは住友家に伝わる貴重な掛軸の、さまざまな表装を観ていきましょう。
住友家のコレクションの多くは明治~大正期、十五代当主・春翠(しゅんすい)によって収集されたもの。公家出身の春翠は、茶人、風流人としても知られていました。
国宝《秋野牧牛図》伝・閻次平 南宋時代13世紀
室町時代に日本に伝来した中国・南宋の宮廷画家による山水図です。
室町時代には中国の美術品は「唐物(からもの)」として尊ばれ、この作品は足利将軍家が所有していたともいわれます。
金や銀の糸で文様を織り出した豪華な裂地(きれじ)です。
数百年も伝わる書画表装は、傷んだら仕立て直されて引き継がれます。所有者の好みで表装もがらりと変わることも多いですが、春翠は、先人の思いや美意識を尊び、元々の表装の風合いを大切にしました。
《漁樵問答図》雪舟 室町時代15・16世紀
「画聖」と呼ばれた雪舟の作品。
共に自然に生きる漁師と樵(きこり)が雄大な自然の中で座して語らう姿を最低限の描写で描いています。
小さな作品ですが、悟りや宇宙観を感じさせる壮大なテーマです。
本紙を囲むのは、銀河のようなUFOのような文様の裂地。テーマに呼応し作品を引き立てる表装です。
《椿蒔画棗書状》酒井抱一 江戸時代19世紀
こちらは江戸琳派を代表する絵師・酒井抱一(さかいほういつ)の書簡。
茶器のデザイン案を確認する書状で、いわば「業務連絡書」。抱一のさらりとした美しい筆跡に惹かれた所有者が軸に仕立てました。
合わせたのは優雅な花模様が刷られた紙。軽やかで美しい表装が、実務書類を芸術に引き上げました。
《大和三景図》画・松花堂昭乗 賛・江月宗玩 江戸時代17世紀
揃いの水玉模様のような唐花文がモダンでとてもおしゃれです。
書の名手・松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)と親友の江月宗玩(こうげつそうがん)による画賛。
松花堂昭乗は、松花堂弁当の仕切りの入った器を考案したといわれる風流人です。
左:一行書《本来無一物》松平不昧 江戸時代1811年
右:一行書《日々是好日》千宗旦 江戸時代17世紀
「侘び」「寂び」を重んじる茶道の掛軸。
千宗旦(せんのそうたん)は、千利休の「侘び茶」をさらに追及した千家三代目。出雲藩藩主の松平不昧(まつだいらふまい)は大名茶人でした。
どちらも質素にみえる表装ですが、宗旦の書の上下の「一文字」と呼ばれる部分にはさりげなく金箔が施され、不昧公の書の表装には不昧公の着衣が使用されています。
まるで書をしたためた本人がそこに佇んでいるような表装です。
《四季花鳥画帖》伊藤渓水 1920年
表装は掛軸だけではありません。こちらは絵を台紙に貼ってまとめた「画帖」。
金箔を細かくして散らした台紙は華やかで上品な美しさです。
展示後半は表装を手掛けた表具師にスポットをあてた珍しい展示になっています。
通常、表舞台に名を遺すことは無い表具師。そこにはどんな物語があるのでしょうか。
井口古今堂(撮影:畔栁尭史)「御表具師 古今堂」の看板は南画家・山田秋坪の揮毫
大阪に関西風流人の信頼を集める表具師がいました。
1830年創業以後五代にわたり表具師として営んできた井口古今堂(いぐちこきんどう)。その三代目・井口邨僊(いぐちそんせん)は、住友家十五代・春翠から格別の信頼を得、住友家の表装を委ねられていました。
井口古今堂の掛軸雛形
井口家に伝わる掛軸表装の雛形。作品に合わせて形を選び、裂を合わせて表装を仕立てていきます。
「佐竹本三十六歌仙」は現存最古級の歌仙絵。もとは巻物でしたが、あまりに高額で買い手がつかず、一歌仙ずつ切り分けたというエピソードで有名です。
住友家には「源信明」の切ない恋歌が伝わりました。春翠は邨僊に依頼し表装を仕立てます。
重要文化財《佐竹本三十六歌仙絵切 源信明》伝藤原信実 鎌倉時代13世紀
表装は落ち着いた印象。室町時代に中国からもたらされ、珍重された「時代裂(じだいぎれ)」と呼ばれる貴重な織物を用いています。
本紙を囲む「中廻し(ちゅうまわし)」の裂には萌黄色の地に箔糸で草花があしらわれ、薄暗い床の間でも浮き立ちます。
本紙の上下を挟む「一文字」には兎の文様が施され、和歌に詠まれた「月」を連想させます。地味に見えますが、趣向を凝らした仕立てです。
《萌黄地唐花唐草文金紗》明~清時代 井口家蔵
井口家にはこの表装のために集めた裂がまとめて保管されています。
このように重要な表装に用いた裂は「お止め」といって、他家の表装には決して用いないよう封印されました。
展示風景
表具師の仕事は書画の表装だけではありません。邨僊は、春翠から住友家の襖や障子など邸宅の建具一式、内装全般を任されました。
《斗米手張籠地手付莨盆》井口邨僊 1922年
例えばこの莨盆(たばこぼん)。
茶事で使用する道具のひとつですが、邨僊は茶室や茶事に合わせてこんな細やかなものまで手掛けました。
《唐紙図案・唐紙》明治~昭和 井口家蔵 《襖引手票本》明治~昭和 井口家蔵
邨僊は住友家をはじめ、多くの邸宅の襖、障子、床の間など建具制作一式の依頼も受けていました。
依頼主の趣味や意図を理解して、空間に似合う唐紙や金具などを選び、工房へ発注して仕立て上げる作業全般を担当。いわば「家」のトータルコーディネーターです。
井口家には建具に使用する唐紙や引手などさまざまな見本があり、住友家用の図案も残されています。
《十二ヶ月美人》十二幅のうち右から一月、四月、八月、十二月 上島鳳山 1909年
表具師は仕事柄、多くの画家とのつながりがあります。邨僊のもとには地元大阪の画家が多く集まりました。
「十二ヶ月美人」は、邨僊の紹介によって住友家に納められた上島鳳山(うえしまほうざん)の作品。邨僊は、損得勘定なしに地元の実力ある画家を応援し、有力な支援者に紹介しました。これも邨僊の功績のひとつです。
会場風景
掛軸を観賞する機会はあっても、見逃されがちな表装。
古くから受け継がれてきた様式美の世界ですが、所有者や表具師の作品の理解が反映された表装は、書画の魅力を引き出す「いぶし銀」の脇役。
依頼主の好みを熟知し、書画を引き立て、邸内のトータルコーディネートや画家の紹介まで手掛ける表具師の仕事の幅広さを初めて知ることができました。
泉屋博古館は、本展終了後に改修工事のため休館に入り、開館は2025年の予定。
休館前の展覧会を、秋の美しい庭とともにぜひお楽しみください。