小林清親展【増補】-サプリメント-/練馬区立美術館

小林清親の未公開、再発見の作品・資料を中心に紹介。練馬区立美術館で1月まで

2021年12月7日

収蔵作品による 小林清親展【増補】-サプリメント-/練馬区立美術館

西武池袋線「中村橋駅」から徒歩3分と、アクセスしやすい場所に建つ練馬区立美術館

好立地の同館に隣接する緑地「練馬区立美術の森緑地」は、20種類・32体のファンタジーな彫刻群や遊具があり、多くの子どもたちが遊ぶほか、近隣の住民の人びとの癒しの空間となっています。

スフマート Sfumart 収蔵作品による 小林清親展【増補】-サプリメント- 練馬区立美術館 取材レポート
収蔵作品による 小林清親展【増補】-サプリメント- 展示風景より

現在、練馬区立美術館では「最後の浮世絵師」とも呼ばれる、明治期を代表する画家・小林清親(こばやし きよちか/1847-1915)の、未紹介・未公開の作品、資料を公開する貴重な展覧会が開催中です。

※展覧会詳細はこちら

小林清親展【増補】-サプリメント-とは

小林清親は、幕府の下級役人の子として江戸に生まれました。

幼少期、おもちゃを与えても喜ばず、代わりに錦絵(多色摺りの浮世絵木版のこと)を与えると喜んだというエピソードが残っているそう。小さいころから絵が好きだったことがうかがえますね。

文久2年(1862)に父が死去したことをきっかけに家督を継いで、将軍家直属の武士となった清親。その後は、鳥羽伏見の戦に幕臣として参加し、大政奉還後は徳川将軍家に従って静岡に移住するなど、忙しい青年期を過ごしていました。
明治7年(1874)に江戸へ戻り、本格的に画業を志すようになります。

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(左から)《小梅曳舟通雪景》明治12年(1879)/《湯島元聖堂之景》明治12年(1879) いずれも、練馬区立美術館蔵

彼のデビュー作ともいえる明治9年(1876)に出版した東京名所シリーズ(明治14年まで)は、淡く明るい色合いで、光と影、天候や時間を表現した、まるで水彩画のような木版画です。清親のこの作風は「光線画」と呼ばれ、センセーショナルなデビューを果たします。

光線画とは、りんかく線を使わずに、光と影を表現する技法のこと。新しいこの技法は、木版の洋画とも呼ばれています。

その後も、戦争画や歴史画、カリカチュア(風刺画)、戯画などを描き続け、さらには浮世絵の有終の美を飾った清親。明治生まれの若い芸術家たちに大きな影響を与えました。

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収蔵作品による 小林清親展【増補】-サプリメント- 展示風景より

練馬区立美術館では、2015年に清親没後100年を記念して、彼の生涯を約300点の作品と資料でたどる「小林清親展 文明開化の光と影をみつめて」を開催しました。

この展覧会がきっかけで、清親の作品や資料、遺品類約300件の寄託を受けた同館。寄託品のなかには、下図絵や自作の箱、裃(かみしも)などの身の回りの遺品も含まれていました。

本展はこれらの未公開、再発見の作品・資料を中心に展示し、2015年に開催した展覧会のサプリメント(増補)として改めて、小林清親を紹介する展覧会です。

*裃:和服における男子の正装の一種。

清親が絵師になる以前を描いた自伝

清親が絵師になる以前の前半生は、自身が描いた《清親自画伝》によって知ることができます。

清親が最晩年に、自身の人生の振り返りと記録のために制作した本作。産湯につかる姿から始まり、絵が好きだったという幼少期、また画塾の手本絵に飽き足らず写生に励む少年期のエピソードなどが、絵とともに記された清親の貴重な資料です。

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《清親自画伝》大正2年(1913)頃 練馬区立美術館蔵

清親は2m近い大男だったそう! そのため裃は、前身頃(まえみごろ)の丈を測ると平均的な男性のサイズに相当しますが、自画伝を見ると、清親の袴(はかま)は丈足らずで描かれています。そのようすは、展示ケース内のパネルで確認できますよ。

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《裃》江戸時代後期 練馬区立美術館蔵

こうした身の回りの遺品やスケッチなどの一部は、昭和6年(1931)に銀座の伊東屋で開催された「清親17回忌追善記念遺作展覧会」に出品されたという記録が残っています。

清親の作品制作に迫る作品も展示

清親は、イギリス人画家のチャールズ・ワーグマンなどから水彩画を学んでいたとされていますが、定かではありません。

しかし、現存する《写生帖》や清親が描いてきた数多くの作品から、明治期初期の日本人画家としてはかなりの技術を習得していたことがわかります。

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《写生帖》練馬区立美術館蔵

まとまって残っている《写生帖》は全部で9冊、それ以外は弟子に伝わったとされるものが確認されています。

《写生帖》は、清親が肌身離さず、地方取材に持参していたそう。そうした《写生帖》のなかには、光線画やほかの錦絵のもととなった水彩画が約60点あるといいます。

本展では、清親の制作過程の下図なども展示。清親がどのように作品を制作していたかについても紹介されています。

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収蔵作品による 小林清親展【増補】-サプリメント- 展示風景より

最後の浮世絵師・小林清親

清親といえば、光線画をイメージする方も多いのではないでしょうか。実は、浮世絵のラストを飾る絵師としての側面も持っています。

本展では、浮世絵師・小林清親について知る作品も紹介しています。

そのうちの1点である、歴史上の人物の教訓を説いた50点の揃物(*)「教導立志基(きょうどうりっしのもとい)」。本作は、清親ともう一人の「最後の浮世絵師」と呼ばれた月岡芳年のほか、清親の弟子の井上探景など6人の絵師による共作です。

*揃物(そろいもの):あるテーマのもと複数枚の浮世絵をシリーズ化して出版したもの。

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(左から)《教導立志基 菊池武光 廿五》明治19年(1886)/《教導立志基 盛遠 十二》明治18年(1885) いずれも、練馬区立美術館蔵

衰退していく浮世絵界で、清親は風景画や戯画で、芳年は歴史、物語絵とそれぞれが得意なジャンルで突出した才能を示し、脚光を浴びていました。

パッと遠くから本作を観ると、芳年の作品かと思うほど。清親の歴史画は、芳年の得意ジャンルを奪ってしまいそうな勢いを感じます。

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《日露戦争南山激戦大日本大勝利万歳》明治37年(1904)練馬区立美術館蔵

また、日清・日露戦争の戦況を伝える戦争画も当時、多くの浮世絵師たちが描いていました。

なかでも清親の描いたものは、今までの浮世絵版画では例を見ない構図などの表現が実験的に組み込まれているなど、ただ戦況を速報するほかの戦争画とは、意識上の違いが見られます。

清親の幻の作品《アラビアンナイト》

本展のメインビジュアルにもなっている《アラビアンナイト》は、昭和6年の17回忌展に出品以来、その後の出品歴はなく、今回90年ぶりに再発見された作品です。

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《アラビアンナイト 宮殿》制作年不詳 練馬区立美術館蔵

清親は、明治16年(1883)発行の井上勤訳『全世界一大奇書』(原名アラビアンナイト)の挿絵を描いていました。

本作の元となったのは『The Arabian Nights』(イギリス 1912年初版)に掲載されているイギリスの挿絵画家、ルネ・ブルが描いた挿絵だそう。

清親が亡くなった年は、大正4年(1915)なので、最晩年に至っても最新情報を取り入れて試行錯誤する、尽きない創作意欲がうかがえる作品の一つです。

 

小林清親の貴重な作品・資料を約80点展示する本展の入場料は無料! 展示室は1階のみですが、見ごたえばっちりの展示内容でした。

また受付にて、展示を詳しく説明するリーフレットも100円で販売中です。展示に興味を持った方、あるいは、小林清親についてもっと知りたい方はぜひ、購入してみてはいかがでしょうか。

Exhibition Information

展覧会名
収蔵作品による 小林清親展【増補】-サプリメント-
開催期間
2021年11月23日~2022年1月30日 終了しました
会場
練馬区立美術館 1階展示室
公式サイト
https://www.neribun.or.jp/museum.html