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2024年11月1日
戦国最強の家老/永青文庫
室町幕府三管領のひとつとして武門の誉高い家柄で、細川藤孝(ふじたか)を初代として戦国時代に始まった細川家。
江戸時代から戦後にかけて目白台にあった広大な細川家の屋敷跡にある永青文庫は、細川家に伝来する歴史資料や美術品などの文化財を管理保存・研究し、一般公開する施設です。
戦国最強の家老―細川家を支えた重臣松井家とその至宝― 展示風景
永青文庫では現在、細川家が江戸時代の終わりまで国持大名として存続する背景のひとつとなった、細川家筆頭家老・松井家の活躍にスポットを当てた展覧会が開催中です。
永青文庫と松井文庫の伝来品により、主君と家老の関係を東京で初めて紹介する本展。千利休や宮本武蔵などの名品を一堂に展覧するとともに、松井家の活躍ぶりを史料から辿り、最強の家老と呼ばれる理由を探ります。
※展覧会詳細はこちら
松井康之(1550-1612)は、室町時代末から江戸時代初期にかけて活躍した武将です。
はじめは将軍・足利義輝に仕えていましたが、義輝が暗殺されると、やがて細川家と主従関係を結び、藤孝の家臣として活躍します。
戦国時代の細川家は、織田信長や豊臣秀吉に仕えていました。そんな細川家に仕えた康之は、数多くの戦いに出陣し、敵を討ちとる活躍をみせ、細川家に戦功をもたらしました。
そうした康之の働きぶりに感心した秀吉は、康之を直参大名に取り立てようとしたのだそう! しかし、康之は細川家に仕えることを希望し、秀吉の申し出を辞退しました。
本展では、天下人も認める有能な細川家の家臣である松井家の活躍について、古文書などの貴重な史料から迫ります。
1581年、康之は秀吉の因幡鳥取城攻めを支援するために、丹後水軍を率いて出陣しました。
秀吉軍に兵糧(ひょうろう)を補給しながらも、来襲してきた毛利の水軍を撃破、さらに毛利軍の軍事拠点である伯耆泊(ほうきとまり)城に進軍して、65艘の船を駆逐したといいます。
重要文化財 織田信長黒印状 細川藤孝宛 天正9年(1581)9月16日 永青文庫蔵(熊本大学附属図書館寄託)
康之のめざましい活躍は、当時の天下人であった織田信長の耳にも入りました。
信長が藤孝に宛てた本書状には、「比類なき働きである」と康之の活躍を激賞する内容が書かれており、康之はすぐれた武略で、細川家の地位を支えていたことがうかがえます。
1611年、康之の隠居に伴い家督を引き継いだ松井家二代・興長(おきなが/1582-1661)。以後50年と長きにわたって細川忠興(ただおき)・忠利(ただとし)・光尚(みつなお)・綱利(つなとし)の4人の藩主に仕えました。
(左から)松井寄之像 英中玄賢賛 延宝5年(1677)/松井興長像 霊叟玄承賛 寛文3年(1663)/松井康之像 以心崇伝賛 慶長17年(1612) いずれも、松井文庫蔵
写真中央の「松井興長像」は、興長の晩年の姿を描いたものです。父・康之が軍事や外交面で細川家の御家存続を考えていたのに対し、興長は主君に自分の意見をストレートに述べて誤りを正そうとし、藩主としてふさわしい道へ導くことを使命としていたといいます。
本展では、そのエピソードを物語る史料も展示されています。
1649年12月、31歳の若さで急死した細川家四代・光尚。彼の嫡子である綱利は当時まだ7歳でした。幼少であっても家督相続を認めるのが徳川幕府の基本方針で、綱利は翌年にわずか8歳で細川家五代として家督を引き継ぐことになりました。
松井興長自筆諫言状 山本三左衛門尉宛 万治3年(1660)3月12日 松井文庫蔵(八代市立博物館寄託)
成人するまでのあいだ、江戸に住むことを命じられていた綱利。しかし、成長するにつれて綱利は武芸をおろそかにし、遊びにふけることが多かったのだそう。
そんな綱利に対し興長は、5mにもおよぶ書状を自らしたためて、藩主としてふさわしい人物となるよう厳しく物申したといいます。
宮本武蔵は、松井家の後援を受けながら細川家の客分(きゃくぶん)として、晩年を熊本で過ごしました。
剣豪として名高い宮本武蔵ですが、実は武芸以外にもさまざまな芸に優れ、複数の水墨画を描いた画人としても知られています。
(左から)面壁達磨図 宮本武蔵筆 江戸時代(17世紀)/正面達磨図 宮本武蔵筆 江戸時代(17世紀) いずれも、永青文庫蔵
本展では、永青文庫と松井文庫の所蔵品から、宮本武蔵が描いたとされる水墨画を中心に、重要文化財2件を含めた作品群を一堂に展示します。
写真右の《正面達磨図》は、武蔵の代表作のひとつ。細かく筆を重ねて表現した顔つきに対し、衣紋の線は濃い墨で太くゆったりと表現されています。
剣士としてだけではない、宮本武蔵の新しい側面にも注目です。
千利休の高弟(弟子のなかでも特に優れた弟子のこと)として茶の湯に深く親しんでいた忠興と康之。永青文庫と松井文庫には、利休ゆかりの茶道具が多く伝来しています。
なかでも特に重要な史料が、こちらの「千利休書状」です。秀吉の怒りをかってしまった利休が、切腹2週間前に康之に宛てたものです。
熊本県指定重要文化財 千利休書状 松井康之宛 天正19年(1591)2月14日 松井文庫蔵(八代市立博物館寄託)
利休の最期の状況と人間関係を伝える有名な史料である本書状。当時のたたみ方が残されている点も貴重とされています。
永青文庫と松井文庫の伝来品から、細川家を支えた重臣・松井家の活躍を明らかにする本展。
この主君と家臣の関係について紹介するのは東京では初めてとのこと! 歴史ファン必見の展覧会になっています。お見逃しなく。