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2024年11月1日
円谷英二展/国立映画アーカイブ
生誕120年 円谷英二展 展示風景より
「ゴジラ」や「ウルトラマン」など、日本を代表する特撮映画の生みの親である円谷英二(つぶらや えいじ、1901₋1970、本名英一)。2021年で生誕120周年を迎えました。
本展では「特撮の父」として広く知られている円谷の仕事だけではなく、これまで語られる機会が少なかった前半生のキャリアに特に注目して紹介します。
また、近年イギリスの英国映画協会(BFI)で見つかった、円谷撮影の初期作品である『かぐや姫』(1935年)が85年ぶりに里帰り!その貴重な映像作品の一部も、展示室内のモニターで鑑賞ができます。
本記事では、円谷英二の生誕120年を記念する本展の見どころをたっぷりとご紹介します!
円谷英二の生涯を語る上で、飛行機とのかかわりを絶つことはできません。
円谷は小学生の時に日本人の初飛行や、来日したアメリカ人パイロットによるアクロバティックな飛行に心を躍らせて、飛行機の模型づくりに夢中になります。そして、小学校高等科を卒業すると本格的に飛行機について学ぶべく、日本飛行学校に入学。あこがれの飛行家としての階段をのぼり始めました。
生誕120年 円谷英二展 展示風景より
しかし、教官の事故死によって学校は機能を停止。円谷は、安全な飛行機を科学的に作るために工科学校へ入学してましたが、学費を補うため働き始めた玩具製造会社に在籍中、花見のけんかが元で知り合った撮影技術の枝正義郎(えだまさ よしろう)に誘われ、映画界に入りました。
生誕120年 円谷英二展 展示風景より
枝正の下で修業後、京都に移り松竹下加茂撮影所(1923₋1975)で本格的にキャメラマンとして活動を開始しました。
松竹下加茂時代を中心に、貴重なポスターや写真、台本などを展示。円谷が撮影技術の基礎を作り、特撮という次のステップに進むまでの時代を詳しく紹介する資料が並びます。
近年、イギリスで発見された円谷英二が撮影した初期作品『かぐや姫』の一部を、展示室内で上映展示しています。
「かぐや姫」は、草創期の日本の民間航空史を描いた「ニッポン・ヒコーキ野郎」とともに、円谷が晩年まで長年温めてきた題材でしたが、1935年に映画化された時に、キャメラマンとして撮影を担当していました。
『かぐや姫』1935年、J.O.スタヂオ、田中喜次監督、円谷英二撮影
原作の「竹取物語」とは違う結末を持つことで、ファンタジーではなく、弱者が知恵をもって権力者に立ち向かう現実的なコメディ作品となった1935年の『かぐや姫』。
撮影技術に注目すると、画面の暗い部分を活かしたローキー(*)撮影を基調として、スモークによる神秘的な雰囲気づくりやクレーン撮影による移動の効果など!のちの円谷の仕事を考える上で、重要な作品であることがわかります。
85年ぶりに里帰りを果たした貴重な作品『かぐや姫』も、お見逃しなく。
*ローキー:全体的に写真の露出を暗くすることで、わずかにある明るい部分をより強調する表現のこと。
1954年に円谷は、プロデューサー田中友幸のもと、監督・本多猪四郎との共同で怪獣映画『ゴジラ』を世に発表しました。本作は、国内だけではなく世界的な反響を獲得した作品です。
生誕120年 円谷英二展 展示風景より
本展では、『ゴジラ』などさまざまな作品のポスターと、円谷英二のふるさとに設立された須賀川特撮アーカイブセンターの保存資料もあわせて展示し、東宝特撮時代の円谷について紹介します。
大衆に支持された怪獣映画を軌道に乗せたのち、円谷はテレビの時代を見すえて、1963年に円谷特技プロダクション(現・円谷プロダクション)を設立します。
以降、1970年に亡くなるまでの間に、円谷は多くの後進を育てながら、1966年1月放映開始の『ウルトラQ』をはじめとするテレビの特撮番組という、新たな路線を確立しました。
(左)『長篇怪獣映画 ウルトラマン』ポスター 1967年、円谷プロ、円谷一監督 国立映画アーカイブ蔵
会場のエントランスには、等身大のウルトラマンが展示されています。こちらのみ、撮影OK!ウルトラマンと並んで、本展の思い出の写真を撮ってみてはいかがでしょうか。
「特撮の父」円谷英二の生誕120年を記念する本展。
若き日の功績から晩年まで、日本の映像界をリードしてきた円谷の幅広い仕事について深く知ることができる、大満足の展覧会です。
文化の日(11月3日)は、どなたでも無料で本展を観ることができますよ!
※新型コロナウイルス感染症対策により、開館時間や休館日に変更がある場合があります。最新情報は、館公式サイトをご確認ください。