歌川国芳/10分でわかるアート

10分でわかるアートとは?

10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。

作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。

今回は、江戸時代末期の浮世絵師「歌川国芳」について詳しくご紹介。

「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。

歌川国芳はどんな人か?

歌川国芳(1797-1861)は、江戸日本橋の染物屋の家に生まれました。

幼少期から絵を描くことを好んでいた国芳。12歳で《鍾馗提剣図》を描いたことにより、絵の才能が認められた国芳は当時、人気絵師であった歌川豊国(1769-1825)に15歳で弟子入りします。


歌川国芳《通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壱人)》1820年代

ブレイクのきっかけとなったのは武者絵の《通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壱人)》。

《通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壱人)》は中国の長編小説「奇譚水滸伝(きたんすいこでん)」の一場面を描いたシリーズ作品です。

歌川豊国に入門してから下積み時代が長かった国芳ですが、本作を描き、30歳過ぎてから人気絵師となりました。

その後は洋風表現も取り入れ、風景画・武者絵・風刺画などざまざまなジャンルを描きました。

歌川国芳の代表作

相馬の古内裏


歌川国芳《相馬の古内裏》1844年 大判錦絵三枚続

本作は、江戸時代後期の浮世絵師で戯作者(*)である山東京伝(さんとうきょうでん)(1761-1816)が書いた読本「善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)」の一場面を描いたものです。

*戯作者(げさくしゃ):戯作(げさく)を業とする人のこと。特に、江戸後期の通俗作家のことを指します。

国芳がよく描いていた「三枚続(さんまいつづき)」と呼ばれる3つの絵をつなげて1つの絵にする本作。

こうした作品は「続絵(つづきえ)」と呼ばれています。従来の続絵は1枚でも鑑賞できるような作品が多く、バラ売りができる絵がほとんどでした。

しかし、本作はそれまでの続絵とは違い、初めて3枚で1つの絵になる作品です。

三枚続をうまく使用することで骸骨の姿はより迫力のあるものとなります。

本作はいくつかの美術館が所蔵しており、日本では千葉市美術館と東京富士美術館に所蔵されています。

 

みかけハこハゐがとんだいゝ人だ


歌川国芳《みかけハこハゐがとんだいゝ人だ》1847年-1852年 木版多色刷 

人や動物などを寄せ集めて、何かを形づくる絵である「寄せ絵」。

《みかけハこハゐがとんだいゝ人だ(みかけはこわいがとんだいいひとだ)》は、寄せ絵の代表作として広く知られています。

たくさんの人を寄せ集め、男性の顔を描いた本作。なんと15人の人間の体を使って顔や手などを表現しています!

左上には「たくさんの人が寄ってたかってやっと良い人ができた」という内容の「大勢の人が寄ってたかって とおといい人をこしらえた とかく人のことは 人にしてもらわねば いい人にはならぬ」という文字が書かれています。

生粋の江戸人!歌川国芳

30歳過ぎて人気浮世絵師となった国芳は多数の弟子を持ちます。歌川派でもとりわけ弟子の数が多かった国芳ですが、その数はなんと100人以上!

弟子の多さは、親分気質で面倒見もよかった国芳の性格からも影響があるよう。そんな弟子の中には落合芳幾や月岡芳年、河鍋暁斎など現在、有名な浮世絵師もいます。

また、国芳の出世作でもある「通俗水滸伝シリーズ」の大胆な色彩と構図は、当時の刺青(いれずみ)界にも革命を起こします。

「国芳柄」と呼ばれるカラフルな絵柄が江戸で流行し始めます。ちなみにこの柄は、現代でも人気の柄なのだそう!

親分気質でチャキチャキの江戸っ子である国芳のカラリとした性格は、江戸庶民の心を掴み、国芳にドはまりする人も多くいたといいます。

讃岐院眷属をして為朝をすくふ図


歌川国芳《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」》1850年-1852年 

曲亭馬琴(きょくていばきん)(1767-1848)が書いた読本「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」の一場面が描かれています。

台風に巻き込まれ、大波にのまれそうな源為朝と為朝の家族を、巨大な鰐鮫(わにざめ)と烏天狗が救う場面。

《相馬の古内裏》同様、「三枚続」で描くことで、鰐鮫の姿を大胆に表現しています。

歌川国芳は大の猫好き!

風景画・武者絵・風刺画などざまざまなジャンルを描き人気浮世絵師になった国芳ですが、彼がよく絵に描いていたのが「猫」です。

自分の懐に猫を抱いて仕事をしていたというほどの猫好きの国芳。そんな無類の猫好きである国芳は、多くの作品に猫を描いています。ここではそのうちの一つを紹介します。

其のまま地口猫飼好五十三疋


歌川国芳《其のまま地口猫飼好五十三疋》1848年 大判錦絵三枚続

歌川広重の代表作「東海道五捨三次之内」シリーズを国芳なりに「猫バージョン」として表現した本作。

タイトルは「そのままじぐちみょうかいこうごじゅうさんびき」。

おそらく本作のタイトルは、「猫飼好五十三疋(みょうかいこうごじゅうさんびき)」と「東海道五捨三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」を掛けた国芳なりのユーモアあるダジャレなのだと思います。

東海道の53の宿場と日本橋・京都を合わせて全55か所を猫の姿で描いています。例えば「日本橋」を表す猫は、かつお節を2本咥え、その横には「二本だし」というくずし字が。

「二本だし」=「日本橋」という意味なのだそう。こちらにも国芳のユーモアさがあふれ出ております。

少し無理のあるダジャレですが・・・猫の描写はお見事ですね。

おわりに

さまざまなジャンルの作品を描き、時には幕府を敵に回しながらも大胆な表現をしていった歌川国芳。

近年では国芳が描いた《東都三ッ股之図》という作品にスカイツリーらしきものが描かれている!?と話題にもなりましたね。


歌川国芳《東都三ッ股之図》

そんな大胆かつユーモアある彼の作品は現在の人びとをも魅了しているのだと感じます。

【参考書籍】
・安村敏信『絵師別 江戸絵画入門』株式会社東京美術  2005年
・山下裕二『やさしい日本絵画』株式会社朝日新聞出版 2020年