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2024年11月1日
幕末土佐の天才絵師 絵金/あべのハルカス美術館
幕末から明治初期に土佐で活躍した絵師・金蔵(1812〜1876)は、高知の神社の夏祭りにその芝居絵屏風や絵馬提灯が今も飾られ、「絵金さん」の愛称で親しまれています。
現在開催中の「絵金」展は、高知県外では半世紀ぶり、巡回はなくあべのハルカス美術館だけの単館開催です。
絵師・絵金は、1970年に一度ブームとなり、大阪、神戸の百貨店で展覧会があり、東京へも巡回したそうです。その頃、麿赤児を主演とした映画「闇の中の魑魅魍魎」も公開されています。
浮世絵研究者でもあるあべのハルカス美術館館長浅野秀剛氏によれば、「絵金は浮世絵師なのか」との問いに「厳密には浮世絵師ではない。狩野派をベースに個性的な絵師」と話され、つまり、他に類を見ない絵師と言えるかもしれません。
絵師・金蔵こと「絵金」は、文化9年(1812)高知城下に髪結いの子として生まれたと伝わっています。幼い頃から絵が上手で、土佐の南画家や藩御用絵師に学び上京します。江戸では駿河台狩野派系の土佐藩御用絵師・前村洞和の下で狩野派を学びました。洞和は河鍋暁斎の師でもあり、暁斎と絵金は同門で、どちらも腕は確かです。
三年後帰郷した絵金は、林洞意と名乗り土佐藩家老・桐間家の御用絵師となりました。ところが33歳の頃に林姓と御用絵師の身分を剝奪され城下を追放されています。贋作事件に巻き込まれたためとも伝わっています。中年以降について確かな資料が全く残っていないそうです。ジョン万次郎や坂本龍馬とも交流のあった河田小龍や武市半平太など絵金には数百人の門人が居たと伝わります。
展覧会は3章構成です。
高知県下では約200点の芝居絵屏風が現存しており、絵金の死後も絵屏風は作られ絵金の弟子や孫弟子の作も含まれています。この章では絵金の基準作、代表作の21点の屏風絵を展示します。
また、狩野派風に描いた掛軸や年中行事の風俗絵巻、安政期の大地震を記録した絵巻など多様な作品を描いていました。
高知県指定文化財《菅原伝授手習鑑 寺子屋(よだれくり)》二曲一双屏風 紙本彩色 香南市赤岡町横町二区蔵
鮮やかな色彩を駆使した絵金の芝居屏風絵、中でも「血赤」と呼ばれ血しぶき飛び散る画面です。鮮やかな顔料「辰砂」を効果的に使い、芝居のどの場面をピックアップするかも絵師の腕の見せ所です。屏風絵では、周辺や背景に芝居の複数の場面を描き込み(異時同図法)ストーリー性を持たせた画面構成になっています。
歌舞伎や浄瑠璃は、当時の人たちにとって一番の娯楽で、誰もが知る場面だったでしょう。
屏風がはまった絵馬台が組まれ、両脇には絵馬灯籠が飾られて高知の夏祭り、提灯の明かりで見てこその絵金作品が演出も見事に再現展示されています。鮮烈な「血赤」、凄惨な画面がろうそくで照らし出されます。
第2章展示風景 絵馬台左から《船弁慶》《近江源治先陣館 盛綱陣屋》二曲一双屏風 紙本彩色 高知市朝倉 倉・前田町内会
山門型の絵馬台を次々とくぐって神社に向かい、振り返れば絵馬台の裏にも屏風がはめ込まれ、往き帰りに別の屏風を見上げるようなこしらえです。
展示風景より、八王子宮「手長足長」の絵馬台
特に目を惹くのが「手足足長」が支える格好の大型の拝殿風の絵馬台で、宮大工の技が光ります。二曲一双の屏風の二つ折りの形態は、祭りの時以外の保管のためと、絵本をそのまま取り入れたからではないかと考察されています。
展示室の両サイドに飾られている「行燈絵」とも呼ばれる「絵馬提灯」は、毎年新調されるもので、現存品は希少です。参道の明り取りで浄瑠璃のお話を辿ります。
一方は人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」に材を取った「図太平記実録代忠臣蔵」、
近年発見された絵馬灯籠『金淵双級巴』第二十四石川五右衛門が煮えたぎる油釜の中で断末魔を迎える場です。
もう一方の「金淵双級巴」は石川五右衛門です。この最後はクスっと笑いも誘う釜茹で五右衛門の後日談も描かれていますのでお見逃しなく。
さまざまな画題を狩野派の画法で描いた粉本の様なものや、屏風や絵馬灯籠の下絵として描いたもの、日々のスケッチなどを「絵手本」として弟子たちに与えていたとも考えられ、絵金の白描画は数千枚単位で残っているそうです。
《三人上戸》紙本墨画 個人蔵
絵金の画号が残る狩野派風に描いた絵馬や絵金門下の絵師との初節句のために新調された幡、絵金に習った河田小龍が描いた幟も展示されています。
本展の音声ガイドのナビゲーターは歌舞伎俳優の中村七之助さん、歌舞伎場面をいい声で解説されとても分かり易かったです。
絵金の作品を纏めて、しかも臨場感たっぷりの再現展示で楽しめる展覧会でした。
小説 木下昌輝著『絵金、闇を塗る』ご興味のある方はどうぞ。