民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある/大阪中之島美術館

暮らしのなかの美を慈しみ健やかで豊かな暮らしへのヒント【読者レビュー】

2023年7月22日

民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある/大阪中之島美術館

約100年前の1926年に柳宗悦と河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉の連名で『日本民藝美術館設立趣意書』を発表し、民藝運動開始のマニフェストとなりました。

本展では、思想家・柳宗悦が説く民衆的工藝、つまり「民藝」について、

◆暮らしの中に息づく民藝の名品約150件を「衣・食・住」をテーマに紐解いていきます。

◆今も続く民藝の産地とそこで受け継がれてきた手仕事を紹介します。

◆現代のライフスタイルと民藝を融合したインスタレーションも展示し、暮しの中の美、民藝の今と未来を考え、展望します。


1941 年日本民藝館における「生活展」の再現展示 展示風景部分

第Ⅰ章 1941生活展―柳宗悦によるライフスタイル提案

柳は、民藝品を用いた生活の実例として、日本民藝館に実際の生活空間を再現、今でいうモデルルームを作り、民藝とは何かを視覚化して提示しました。

市井に暮らす人びとや地域の職人が作り、彼らが日常用いる品々の中に美があるものを「民藝」とよび、日本各地を巡って収集しました。日本民藝館では展示品相互の美しさを活かしあう展示を目指しました。

第Ⅱ章 暮らしのなかの民藝-美しいデザイン

柳は、「民藝は暮らしのなかから生まれ、暮しに根付いたものである」と考えていました。それぞれの気候風土の中で育まれたものは、機能的であり、美しいデザインを持ったものが「用の美」でした。

Ⅱ-1「衣を装う」 身に着けたい気持ちにさせる美しさを備える


《菱刺衣裳》南部地方(青森)大正時代 1910-20 年代 日本民藝館
寒冷地の青森では衣類の保温性を保つため、刺し子が著しく発達しました。薄い藍染めの麻地に紺や白、黒色の木綿の糸を刺す南部地方の「菱刺」と呼ばれる刺子で、冬の農閑期の女性の仕事でした。


《刺子足袋》羽前庄内(山形)1940 年頃 日本民藝館
甲の前面に濃紺の刺子が入る「庄内刺子」の足袋で、刺子の厚みで保温性を高めます。


上記《菱刺衣裳》の拡大画像、細やかな模様の熟練の技が美しい。


《背中当(ばんどり)》羽前庄内(山形)1939 年 日本民藝館
荷物を背負う際に使用する「背中当」を庄内から越後蒲原郡の地域では「ばんどり」と呼ばれた。婚礼の際に婚礼衣装などを運んだ「祝いばんどり」です。
《蓑》岩代檜枝岐(福島)1930 年代 日本民藝館:蓑は雨具でした。柳は「ずばぬけて立派なのは北国の蓑である」と記しています。

Ⅱ-2「食」を彩る 料理に応じて器を選び、綺麗に器に盛る


《焼締黒流茶壷》信楽(滋賀)江戸時代 19 世紀 日本民藝館
柳が近江八幡の古道具屋で見つけて、河井と共に愛でて語り合った茶壷です。民家で用いた茶葉入れと考えられ、信楽で大量生産されたと考えられるが、「民藝館が誇る蔵品の一つ」と柳は語っています。

「民藝」は、身の回りで用い、日々手荒く扱っても丈夫なもので、職人が何度も作った量産品で、繰り返しの作業の中で形や文様に変化が生じて無意識のうちに自然と美が生まれてくると柳は説いています。

「雑器の美を認めたのは茶人達であった」と柳も指摘し、柳特有の審美眼は利休に相通じるのかもしれません。

流れる黒釉が美しい《焼締黒流茶壷》は、まさに茶の湯の道具と称しても通じそうです。


《緑黒釉掛分皿》因幡牛ノ戸(鳥取)1931 年頃 日本民藝館
吉田璋也がデザインを提案した新作民藝です。


《スリップウェア角皿》イギリス 18 世紀後半-19 世紀後半 日本民藝館
その手法は民藝の作家から日本各地の陶工へ伝えられました。

スリップウェアの模様のつけ方に苦心していた濱田庄司は、パンにバターを塗った上にジャムを伸ばしているときにヒントを得たとの逸話が思い出されます。


《網袋(鶏卵入れ》朝鮮半島 20 世紀初頭 日本民藝館
藁を編み上げた籠の中心に窓を設け、上部の紐で吊るして保管できる鶏卵入れです。


《蝋石製薬煎》朝鮮半島 朝鮮時代 19 世紀 日本民藝館
蝋石を彫って磨き上げて形作った朝鮮特有の石工品で保温性に優れ、直火にかけられます。

《網袋(鶏卵入れ》は、あまりにも可愛らしく、《蝋石製薬煎》は、機能性もありながらデザインがとてもモダン、どちらも現在でも十分使えそうです。

Ⅱ-3「住」を飾る

浜松の旧家であった高林家14代目兵衛は、初期民藝運動に物心両面で支援しました。

1931年には高林邸内に「日本民藝美術館」を開館しますが、わずか2年で閉館となりました。高林兵衛旧蔵品を初公開します。


《燭台》江戸時代 19 世紀 日本民藝館
真鍮製の燭台で火を消して芯を切るための鋏を吊り下げ、台座の上の蓋を開けて切った芯は直に捨てられます。


左:《竹貼硯床》朝鮮半島 朝鮮時代 19 世紀末 日本民藝館 硯を入れて置くための文房家具。細い染竹の片を本体に貼り付け、足は狗足の姿になっています。
右:《油差》朝鮮時代 19 世紀末日本民藝館 刳物の木工品で有名な朝鮮の雲峰産と伝わります。

Ⅱ 気候風土が育んだ暮しー沖縄

沖縄ならではの歴史と文化、気候風土の暮らしのなかの品々は、今も昔も人びとを魅了する。柳は「沖縄の存在は誠に奇跡のようなものであった」と記しています。

第Ⅲ章 ひろがる民藝―これまでとこれから

柳宗悦が亡くなった1961年以降、日本民藝館二代目館長に濱田庄司が就任し民藝運動はさらなる広がりを見せ、日本各地に民藝運動の同人たちは民藝館を設立しました。

Ⅲ-1 『世界の民芸』―新たな民藝の世界


濱田庄司、芹沢銈介、外村吉之介『世界の民芸』朝日新聞社 1972 年 個人蔵
世界各地の品物を紹介し、民藝の新たな扉を開きました。装丁も素敵です。


《入れ子土鍋》グアダラハラ市近郊(メキシコ)20 世紀後半 静岡市立芹沢銈介美術館
内側に釉薬をかけた薄手の陶器の日用雑器で、芹沢が入手したものです。

Ⅲ-2 民藝の産地-作り手といま

現在に続く下記の民藝の産地について民藝品、道具、素材などの展示と映像や働く職人たちへのインタビューなどで紹介します。

小鹿田焼(大分) 原田マハ著『リーチ先生』でも有名な江戸時代中期から続くやきものの里
丹波布(兵庫) 江戸時代後期から明治時代にかけて丹波国佐治村で織られていた。一度途絶えたが戦後に復興して現代に引き継がれています。
鳥越竹細工(岩手)  山中に自生する細いすず竹を編む、柳は「不思議に形に醜いものがない」と記した。
八尾和紙(富山)  江戸時代に薬売りの包み紙として発展しました。吉田桂介が芹沢銈介と出会って型染和紙を手掛け始めました。
倉敷ガラス(岡山)  小谷眞三が民藝運動と関わりが深い倉敷市内で製作を始めました。「健康で、真面目で、無駄がなく、威張らない」と言う言葉をモットーに今も作られています。


《丹波布》丹波(兵庫県)1950-60 年代 日本民藝館:手紡ぎの絹と木綿を交織にした平織の手織布。


《竹行李》部分 陸中鳥越(岩手)1930 年代 日本民藝館
すず竹と黒く燻した竹を交互に編む。素材となるすず竹の花が一斉に開花して枯れ、危機的な状況にあります。洒落たモダンなデザインの幾何学模様が目を惹きます。


『工藝』第 109 号(1942 年 6 月号)個人蔵
『本高熊抄新傅聞』岡村吉右衛門 1955 年 個人蔵
染色家・岡村吉右衛門と吉田桂介が八尾和紙の伝統を知る高熊の和紙職人を訪ねて、和紙作りの手法を取材し、その内容を書き記し限定 100 部作られました。


《酒瓶》小谷眞三 倉敷(岡山)1985 年頃 日本民藝館
《角酒瓶》小谷眞三 倉敷(岡山)1979 年頃 日本民藝館
メキシコのガラスを手本に、試行錯誤を重ね独学で作られた小谷眞三のガラスです。

Ⅲ Mixed Mingei Style by MOGI

1977年には柳宗悦の長男にして、日本を代表するプロダクトデザイナーの柳宗理が日本民藝館の館長に就任しました。現在の私たちにとって、柳宗理はオリジナルの民藝運動と現代的な感性を繋ぐ存在であり、民芸的なるものとプロダクトを繋ぐ役割を担っていました。

テリー・エリス/北村恵子(MOGI Folk Artディレクター)による、現代のライフスタイルと民藝を融合したインスタレーションで「これからの民藝スタイル」を提案します。

本展は、2年をかけて全国7か所を巡回します。是非お近くの会場へお出かけください。

展覧会特設ショップ風景

本展覧会の特設ショップでは、民藝の品々を多数取り揃えられています。こちらもお見逃しなく。

Exhibition Information

展覧会名
民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある
開催期間
2023年7月8日~9月18日 終了しました
会場
大阪中之島美術館 4階展示室
公式サイト
https://mingei-kurashi.exhibit.jp/