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2024年11月1日
特別展 コスチュームジュエリー/京都文化博物館
京都文化博物館外観
「かわいい」「きれい」普段から私たちを楽しませてくれるアクセサリーの数々。
実は私たちが手軽にアクセサリーを手にすることができるようになったのは、そんなに昔のことではありません。その陰には、社会情勢の変化に伴ってジュエリーのあり方を変革したデザイナーたちの姿がありました。
そんなファッションジュエリーの変革を一望できる貴重な展覧会が京都文化博物館で開催されています。東京からの巡回で、ここ京都は2会場目です。
東京展のようすはこちら▼
京都の中心部・四条烏丸からほど近い京都文化博物館。別館は重要文化財に指定されている旧日本銀行京都支店の美しいレンガ造。街のランドマークとなっています。
会場エントランス
「コスチュームジュエリー」とは、貴金属や宝石を用いずにガラスや合金、銀、半貴石などさまざまな素材で作られたファッションジュエリーのこと。
本展ではコスチュームジュエリーの研究家でコレクターでもある小瀧千佐子氏のコレクションから、選りすぐった約450点もの作品を展覧。コスチュームジュエリーにスポットを当てた世界的にも貴重な展覧会です。
20世紀初頭、ポール・ポワレは自由を望む女性のためにドレスに必須だったコルセットを廃止し、ゆったりとしたラインのドレスを制作。女性を窮屈なコルセットから解放します。
新たなスタイルのドレスに似合うジュエリーが必要と考えたポワレ。そこで誕生したのがコスチュームジュエリーなのです。
《夜会用マスク、ブレスレット”深海”》ポール・ポワレ(デザイン)マドレーヌ・パニゾン(制作)1919年
高価な宝石や金をふんだんに使い、王侯貴族が権力を誇示するためのものだったジュエリーが、コスチュームジュエリーの登場によって「素材の価値」ではなく「素材を活かしたデザイン」へと変遷していきます。
ポール・ポワレのデザインによる夜会用のマスクは、コスチュームジュエリーに縫製を取り入れた斬新な作品です。
ポール・ポワレによって始まったコスチュームジュエリーは、才能あふれるオートクチュールデザイナーたちによって開花します。
その一人がイタリア出身のスキャパレッリ。ポワレに才能を見出されコレクションを発表すると、独創的な造形と大胆な色調でファッション界を魅了します。
スキャパレッリは、コレクションに合わせたコスチュームジュエリーを制作しました。
スキャパレッリ パガン・コレクション《ネックレス”葉”》ジャン・クレモン(デザイン/制作)1937年
ボッティチェリにインスピレーションを受けたというパガン・コレクション。
ネックレス「葉」は、独創的な造形で陰影が美しい逸品です。
スキャパレッリ パガンコレクションのネックレス展示風景
メタルにエナメル彩を施したネックレス。スキャパレッリはコーティング技術も開発し、これまでのジュエリーとは全く異なった独自の作品を発表しました。
スキャパレッリ 帽子展示風景
帽子やポシェットも展示されていました。どんな服に合わせたのでしょう。服を想像してみるのも楽しいです。
快進撃を続けていたスキャパレッリですが、1940年代に入ると戦争が影を落とします。
ヨーロッパのサロンが閉鎖を余儀なくされる中、スキャパレッリはアメリカに活路を見出します。
《ネックレス、イヤリング、ブレスレット》エルザ・スキャパレッリ(デザイン)ラルフ・デ・ローザ社(制作)1952年
ユニークな色ガラスや幅広のブレスレットなど、ヨーロッパ時代とは違う、時代に合わせた新たなデザインを繰り広げました。
スキャパレッリの永遠のライバルとされたのがシャネル。ふたりの作風は対照的でした。
スキャパレッリが自分自身を芸術家ととらえていたのに対し、シャネルは職人だと公言していました。
12歳で孤児となり、引き取られた修道院で裁縫技術を学んだシャネルはパリに店を構え、女性の社会進出が脚光を浴びる時代を先取りした「シャネルスーツ」など独自のスタイルを確立しました。
《ネックレス、クリップ”花”モチーフ》メゾン・グリポワ(制作) 1938年
シャネルが創り出したコスチュームジュエリーは「富を誇示するもの」ではなく、働く女性のためのもの。シンプルなデザインのスーツに合うようにデザインされたコスチュームジュエリーは、女性たちの大きな支持を得ます。
可憐な花びらのネックレスとイヤリングは、名門コスチュームジュエリーメーカーのメゾン・グリポワとのコラボレーションです。
ロベール・ゴッサンス制作のネックレス、ペンダントの展示風景
こちらはメタルアートの巨匠、ロベール・ゴッサンスがシャネルのビザンチン・スタイルのために制作したネックレスやペンダント。
《ブローチ“蜂”モチーフ》メゾン・グリポワ(制作) 1990年代後半
こんな小さな可愛らしいブローチもあります。
《ネックレス”葉と藤の花”モチーフ》クリスチャン・ディオール(デザイン)メゾン・グリポワ(制作)1952年頃
こちらはクリスチャン・ディオールがデザインしたネックレス。細い金属線の枠内に溶けたガラスを流し込む技法でメゾン・グリポワが制作しました。
クリスチャン・ディオールは「ニュールック」と呼ばれるフェミンで優美なスタイルで一世を風靡します。
《イヴニング・ドレス》エルザ・スキャパレッリ(ユベール・ジヴァンシィ)1938年
神戸ファッション美術館蔵とコーディネイトされたリダ・コッポラデザインのネックレス
会場には神戸ファッション美術館所蔵のドレスと、小瀧千佐子氏がコーディネートしたジュエリーが展示されています。
コルセットから解放された新時代のドレスとコスチュームジュエリーのコーディネートを実際に観ることができます。
シャネルらグラン・メゾンの活躍により、1930年代にはさまざまなオートクチュール・メゾンがコスチュームジュエリーを手掛けるようになります。
《リジットネックレス”翼”、カフブレスレット”V字”モチーフ》リダ・コッポラ(デザイン)コッポラ・エ・トッポ(制作)1952年
色鮮やかなガラスビーズが特徴的なリダ・コッポラの作品。
ミラノにコッポラ・エ・トッポ社を設立し、ビーズの洗練されたカラーグラデーションでオートクチュール向けの作品を制作しました。
《チョーカー”花火”》リダ・コッポラ(デザイン)コッポラ・エ・トッポ(制作)1968年
ガラスビーズとワイヤーという素材がとても効果的に使われ、まさに「花火」をイメージさせるチョーカー。こちらもリダ・コッポラの作品です。
リーン・ヴォートランデザインのイヤリング展示風景
「メタル(金属)の詩人」と謳われるリーン・ヴォートラン。大ぶりの華やかなネックレスなど目を惹く作品が数多く展示されていましたが、印象に残ったのはこの小さなイヤリング。この小さな世界に物語が広がっています。
《イヤリング》リナ・パレッティ(デザイン/制作)1950年代
「素材の価値」から解放されたコスチュームジュエリー。
スキャパレッリのためにデザインしたリナ・バレッティのイヤリングは、素材に羽根が使われています。
こうした素材の自由度について小瀧千佐子氏は、「素材はどんなものでもいいんです。新聞紙でもいいんですよ」と話しました。
スキャパレッリ、シャネルのアメリカへの進出をきっかけに、アメリカでもコスチュームジュエリーが浸透し、生産が始まります。
アメリカではヨーロッパの宝飾文化の伝統にとらわれない、自由でユニークなコスチュームジュエリーが発展しました。
大企業が大量生産することにより安価なコスチュームジュエリーが流通し、デパートなどで気軽に購入できるようになったのです。
《ネックレス、ブローチ”すみれ”モチーフ》フランク・ヘス(デザイン)ミリアム・ハルケス工房(制作)1930年代
シャネルにあこがれて起業したアメリカを代表するコスチュームジュエリー工房、ミリアム・ハスケルのチーフデザイナー、フランク・ヘスの作品。ガラスビーズやでつくられた葉や花びらが一枚ずつていねいに重ねられています。
《ヘッドアクセサアリー兼チョーカー、ブローチ》フランク・ヘス(デザイン)ミリアム・ハルケス工房(制作)1950年代
「ハスケルの模造パールは、品質の良い日本のものを使ったんですよ」と小瀧氏が教えてくれました。コスチュームジュエリーは、思いがけないところで日本とつながっていたんですね。
展示風景
コスチュームジュエリーは、時代の流行を捉えてつくられたもの。通常は流行が終わればそのジュエリーも消えていく運命にあります。
しかし本展のコスチュームジュエリーは、2つの大戦を生き延び今なお輝き続けています。デザイナーたちの確固としたスタイルやその生きざまが息づいているのです。
そんなデザイナーのメッセージを受け止めながら、華麗なコスチュームジュエリーの世界をぜひお楽しみください。
京都展後、名古屋、宇都宮、札幌と巡回します。詳しくは展覧会公式サイトをご確認ください。