倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙/京都国立近代美術館

「ひと」と「家具」とのコミュニケーションを生む【京都国立近代美術館】

2024年7月8日

「インテリアデザイナー」という職種が確立されていなかった頃から、1970年~80年代にかけて国内外で活躍した倉俣史朗。

1991年に56歳という若さで急逝しますが、いまなお高い評価を受ける伝説のデザイナーです。

倉俣史朗の残した言葉にスポットを当てながら個性豊かな彼のデザインを振り返る展覧会が、京都国立近代美術館で開催されています。
「記憶のなかの小宇宙」というサブタイトルも彼の言葉です。

本展は東京、富山と巡回し、ここ京都がラスト。京都国立近代美術館では25年振りとなる展覧会です。

演劇舞台のような展示会場

会場風景

床も壁もシックな「黒」で統一された展示室内に並ぶのは、個性豊かな家具たち。

各々にスポットが当たり、家具のシルエットが浮かび上がります。まるで主役の登場を待つ演劇の舞台のような会場演出です。

倉俣史朗とはどんなデザイナーだったのか。まずは彼を象徴する作品を観ていきましょう。

「引力」と「無重力」

左:『ミス・ブランチ』1988年(製造1993年)富山県美術館 右:『硝子の椅子』1976年(製造1996年)京都国立近代美術館

右側の「硝子の椅子」は、無駄をそぎ落とした板硝子のシンプルな線と面のみで成り立っている作品。

倉俣は、デザインする中で「引力」と引力から解放された「無重力」という感覚を強く意識していました。

「硝子の椅子」に座る時、人は「座ると割れるんじゃないか」という緊張感と同時に、宙に浮いているような「無重力」を感じるのではないでしょうか。「引力と無重力」は倉俣にとって重要なキーワードなのです。

時を閉じ込めたかのような代表作『ミス・ブランチ』

『ミス・ブランチ』1988年 株式会社イシマル

左側は、倉俣の代表作と言われる「ミス・ブランチ」。こちらは透明アクリルで製作された作品です。

アクリルブロックの中には、封入されたバラの花々。開いた花の命を、まるごと閉じ込めて椅子にしてしまったかのよう。

スポットが当たると、アクリルを通してバラの花の影が床に広がります。

倉俣はアクリルやガラスなどの透明な素材を使用し、空間に溶け込むようなデザインを追求しました。

会場を巡りながら倉俣史朗の人生を回遊する

大きく4章の構成からなる展示会場。

デザイナーを志し銀座の商業施設「三愛ドリームセンター」の売場デザインを手がけた「プロローグ」から、56歳で急逝する「エピローグ」まで、「倉俣史朗」というデザイナーの歩みを辿ることができるようになっています。

「エピローグ」まで辿ってきた観覧者は再び「プロローグ」へ戻って、彼の人生を何度も巡ることができます。

商業施設の空間デザインなどを手がけるインテリアデザイナーとして活躍した倉俣でしたが、残念ながら彼のデザインした空間は写真でしか見ることができません。
しかし、残された特徴的な家具から倉俣史朗が目指したデザインを観ることができます。

使うことを目的としない家具

『引出しの家具』1967年 富山県美術館

倉俣は、飲食店や服飾店のインテリアデザインを行いながらオリジナルの家具の製作を始めます。

倉俣の家具は注文を受けて製作されたものではなく、あくまでも自己表現として言葉では語れない部分を形で表現したものでした。

『引き出しの家具』はその最初のひとつで、いくつもの引き出しが前面についています。

「使うことを目的としない家具、ただ結果として家具であるような家具に興味を持っている」と倉俣は語っています。

空間と一体になったデザイン

『スプリングの椅子』1968年 クラマタデザイン事務所

同じ時期に製作されたスプリングの椅子。不安定に浮遊しているような感覚となるこの椅子は、倉俣が店舗の空間デザインを担当した西武百貨店渋谷店の「カプセルコーナー」併設の喫茶店で使用されていました。

「カプセルコーナー」とは、透明アクリルをカプセルの形状に加工しその中に服を吊るすディスプレイで、ショップの中で服が浮いて見えるというものでした。

この椅子は店のディスプレイに合わせ、浮遊感を感じさせるデザインとなっています。

「ひと」と「家具」との対話

展示風景

引き出しがびっしり配されたユニークな家具たち。これら家具は1点ものとして製作された「作品」ではなく、生産できるように図面も残されている「製品」です。

倉俣は引き出しを「中に入っているものへの期待を導くもの」として捉え、その存在によって人間と家具との間に対話を生み出すと考えていました。

素材を突き詰める

『トウキョウ』1983年 株式会社イシマル

倉俣は、イメージに合う素材を試行錯誤しながら作品に取り入れました。

画像では見えにくいですが、テーブル一面に色や形、大きさがさまざまなガラスの破片が埋め込まれています。

倉俣はこれを「記憶の破片」と言い表しています。

左:『シング・シング・シング』1985年(製造1993年)富山県美術館 右:『トワイライトタイム』1985年 石橋財団アーティゾン美術館

こちらはフェンスなどに使用する建築用材である「エキスバンドメタル」を素材とした作品。40年前の作品とは思えないほどスタイリッシュです。

テーブルは脚部にエキスバンドメタルを使用した軽やかなフォルムを与えられています。

記憶から生まれるデザイン

展示風景

会場には、趣向を凝らした家具がスポットライトを浴びて整然と並びます。

思わず展覧会を忘れて、「これいいな」「こっちの方が好き」と、ショールームに家具を選びに来たような不思議な感覚に。

倉俣はこれらの家具をラフスケッチを描かずに製作したといいます。頭の中で極限まで構想し、直接作品に落とし込んでいたのですね。

製作中の感覚を、作家本人は「意識の下層に沈殿した記憶がイメージの中でオーバーラップして形になる」と語っています。

『椅子の椅子』1984年(製造1990年代)富山県美術館

『椅子の椅子』という不思議なタイトル。確かに、黄色く塗られた「座椅子」の部分が、ソファのような形状の黒い部分に腰かけているように見えるのです。

『「バー ルッキーノ」のカウンター天板』1987年 新潟市新津美術館

倉俣が空間デザインしたバー「ルッキーノ」のカウンター。ひび割れたようなガラスの天板が床にも映って、とてもきれい。

カウンタートップにカクテルが運ばれたさまが目に浮かぶようです。

『アクリルスツール(羽根入り)』1990年(製造1996年)京都国立近代美術館

透明なアクリルの中に舞うのは、鳥の羽根。重量感のあるブロックでできたスツールですが、透明なのと羽根の動きによって軽やかな浮遊感のあるイメージになっています。

家具を媒体としたコミュニケーション

展示風景

よく語られる「人間工学」の要素は全くありません。

倉俣が家具に求めたものは「座りやすさ」「心地よさ」ではなく、家具を媒体とした人とのコミュニケーション。最も大切なのは「人間とオブジェとの間に会話をつくりだすこと」と倉俣は断じます。

大きくかさばるのが家具の宿命。だったらトランスルーセントにして物体感を消し、素材内部や向こう側まで見せてしまう。
家具は重いからこそ、デザインによって浮遊感をもたらし重力からの開放を具現化する。

倉俣のアプローチは、後にApple社で成功を収めるジョナサン・アイヴ氏の工業デザインにつながる意思を感じさせます。

個性豊かな家具を観た後は、併設のカフェでひと休み。琵琶湖疏水に面したガラス張りのカフェでは、スウィーツや軽食が楽しめます。

天気の良い日は、ぜひオープンテラスでくつろいでみてはいかがでしょうか。季節の和菓子も楽しめますよ。

Exhibition Information

展覧会名
倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙
開催期間
2024年6月11日~8月18日 終了しました
会場
京都国立近代美術館
公式サイト
https://www.momak.go.jp/