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2024年11月1日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、ラファエル前派の創設メンバーのひとりである「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ」について、詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
1828年、イタリアの亡命詩人の父とイギリス人の母を持つハーフとしてロンドンに生まれた、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)。ラファエル前派を代表する画家のひとりです。
父はイタリアの詩人・ダンテの研究者だったことから、ロセッティの名前にも「ダンテ」とつけられました。ロセッティはイタリアでもっとも有名な詩人の名前に恥じず、イタリア語を得意とし、16歳のときにダンテの詩を英訳したというエピソードも残っています。
文学のほかに、絵画などの芸術にも深い関心をもっていたロセッティ。17歳になると、ロイヤル・アカデミー美術学校に入学して、絵画の道へ本格的にすすむようになります。ここで彼はラファエル前派の創設メンバーとなる、ジョン・エヴァレット・ミレイとウィリアム・ホルマン・ハントの2人に出会い、仲良くなりました。
彼らはロイヤル・アカデミーの一方的な授業のようすから、イギリス美術界の低迷を強く感じていたといいます。そこでロセッティとミレイ、ハントの3人は、ほかに7人の仲間を募り、1848年「Pre-Raphaelite Brotherhood(ラファエル前派兄弟団/P・R・B)」という秘密結社を結成します。
秘密結社として、ミレイ、ハントと3人そろってロイヤル・アカデミー展に出品する約束をしていましたが、ロセッティは別のギャラリーに出品。来年は一緒の展覧会に出すと言ったにも関わらず、またもロセッティだけ別の展覧会に出品するなど、かなりのわがままお坊ちゃんだったといいます。それがきっかけで、ラファエル前派はわずか5年で解散してしまいました。
解散後、ロセッティはロイヤル・アカデミーを離れ、独自路線へと進みます。彼は“丸顔でかわいらしい”という当時の美の基準に当てはまらない女性たちを好んでモデルにし、そのモデルが持つ独自の美しさを引き出して描きました。
《見よ、我は主のはしためなり(聖告)》
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《見よ、我は主のはしためなり(聖告)》1850年
本作は、ラファエル前派で活動していた時代に発表した作品です。
処女マリアに大天使ガブリエルが、神の子であるキリストが宿ったことを告げる伝統的な主題ですが、それまでの宗教画に比べて神聖さが欠ける絵だったことから、発表直後は論争が起こったといいます。
さらに、マリアのモデルはロセッティの妹であるクリスティーナで、普通の女性をモデルとしていることも批判される理由だったそうです。
《ベアータ・ベアトリクス》
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《ベアータ・ベアトリクス》1863~1870年
本作は、詩人ダンテによる『新生』に登場するベアトリーチェ・ポルティナーリの死の瞬間を描いた作品です。モデルはロセッティの妻であるエリザベス・シダルです。
ロセッティはかなりの女性好きだったそうで、エリザベスと結婚後も浮気をくり返していたといいます。その結果、エリザベスはアヘンを大量に服用し自殺してしまいます。そんな亡き妻に捧げるしょく罪の作品としても知られています。
ロセッティとミレイ、ハントの3人がリーダーとして、1848年に結成した秘密結社「Pre-Raphaelite Brotherhood(ラファエル前派兄弟団/P・R・B)」。この団体名には、アカデミーが美の規範とするラファエロ(1483-1520)ではなく、それよりも前の初期ルネサンスへ立ち返ることを主張する意味が込められています。
まだ20歳になるかならないくらいの若者たちによって結成されたこの奇妙な名前の芸術家集団は、またたく間に人びとの注目を集め、19世紀が終わるころまでには、ヨーロッパ大陸のほとんどすべてと、北アメリカ、さらには明治期の日本でも知られるようになりました。
そんなラファエル前派ですが、内部は一枚岩ではありませんでした。リーダーの1人であるロセッティの絵は、ミレイやハントに比べてデッサン力が劣るため、彼らと同じ展覧会に出品することを拒んでいたのだそう。自分だけ別の展覧会に出品したのはそのためかもしれませんね。
さらにロセッティは、ラファエル前派の秘密のサイン「P・R・B」の意味をばらしてしまいます。「P・R・B」が、当時の美の規範であるラファエロを否定するものだと知った人びとは、大激怒! ラファエル前派のメンバーはこっぴどく叩かれてしまいました。
こうした事件からラファエル前派は結成3年目でバラバラとなり、その2年後には解散。メンバーは独立して画家として活躍していきました。
ラファエル前派解散後、ロセッティは、女性たちを主題とした作品を多く描くようになりました。美人画の名手となったロセッティの作品のモデルとなったのは、彼の恋人や愛人たち。その女性関係はとてもスキャンダラスだったといいます。
《ベアータ・ベアトリクス》のモデルであるエリザベス・シダルと結婚するものの、娼婦ファニーに夢中になるほか、友人のウィリアム・モリスの妻・ジェーンにも恋をして、親友公認の愛人にしてしまうなど・・・相当なものでした。
もちろん、妻であるエリザベスは、そんな夫の姿に悩みました。その悩みが体に障ったのでしょう。まもなく、長子を妊娠するも死産してしまい、そのショックで大量のアヘンを一度に飲んで亡くなってしまいます。
エリザベスの死後、ロセッティの生活はさらに荒れていきます。彼はかなりの美男子だったそうですが、エリザベスを亡くした深い悲しみから酒とアヘンを常飲するようになり、美男子といわれていた姿は失われてしまいました。
そうして1882年の4月9日、ロセッティは53年の生涯に幕を閉じます。亡くなる前に書いた遺言書には、妻・エリザベスの横に埋葬しないようにと書かれていたそうです。
ラファエル前派の創設メンバーのひとりである、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティについて詳しく紹介しました。
モデルの魅力を引き出す「美人画」の名手として知られたロセッティ。しかしその裏側は、複数の女性と関係をもつスキャンダラスなもので、驚きました。
自身の浮気のせいで最愛の妻であるエリザベスを亡くしたロセッティは、その後あまり制作せずに、ウォンバットなどの珍獣の飼育や骨とう品の収集などに熱中していたそうです。
次回は、ロセッティたちが立ち上げた「ラファエル前派」について、詳しくご紹介します。お楽しみに!
【参考書籍】
・早坂優子『巨匠に教わる 絵画の見かた』株式会社視覚デザイン研究所 1996年
・早坂優子『鑑賞のための 西洋美術史入門』株式会社視覚デザイン研究所 2006年
・岡部昌幸 監修『西洋絵画のみかた』成美堂出版 2019年
・早坂優子『101人の画家 生きてることが101倍楽しくなる』株式会社視覚デザイン研究所 2009年