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2024年11月1日
没後50年 鏑木清方展/東京国立近代美術館
「没後50年 鏑木清方展」展示風景
東京国立近代美術館にて「没後50年 鏑木清方展」が開催中です。
本展は、鏑木清方(かぶらき きよかた、1878-1972)の傑作である三部作《築地明石町》(1927年)《新富町》《浜町河岸》(どちらも1930年)を中心に、109件の日本画作品で構成する大規模展です。
本記事では、展示の見どころを紹介します。
※展覧会情報はこちら
鏑木清方は、日本画家・上村松園と並ぶ美人画の名手として知られています。
清方は13歳で水野年方に入門し、はじめは挿絵画家として身を立てています。その後、肉筆の修行も重ね、浮世絵をベースにしたはっきりとした姿、明るい色調をもつ美人画によって画壇での地位を築きました。
展示風景より中央:鏑木清方《一葉女史の墓》明治35(1902)年 鎌倉市鏑木清方記念美術館蔵
《一葉女史の墓》は、清方の画業初期の代表作です。
枯れ葉が落ちかかる寂しい初冬の墓地で、墓にもたれかかっている少女を描いた本作。少女がもたれているのは、小説家、樋口一葉の墓です。
清方は実は一葉文学のファンで、その墓を訪ねたそうです。その際、花とともに手向けた線香からのぼる煙の向こうに、「たけくらべ」のヒロイン、美登利の幻を見たのだとか! 東京に住む人びとの「生活」とフィクションのような「物語性」という二つのテーマをあわせ持った、重要な初期作品です。
本展の皮切りとなる東京会場では、清方のキャリアを作品のテーマで区切って年代順に通覧できる構成となっています。
切手にもなった《築地明石町》。あわせて三部作となる《新富町》 と《浜町河岸》。2019(令和元)年に44年ぶりに公開されたこの三部作を、東京、京都の両会場とも展示替えなしで鑑賞できます。
《築地明石町》は、本作は清方の代表作として知られていながら1975年以来行方不明でした。しかし、2019年に同作を探し続けていた東京国立近代美術館によって収蔵されました。《新富町》 と《浜町河岸》も同時期に収蔵された作品です。
展示風景より左:《浜町河岸》1930(昭和5)年 東京国立近代美術館蔵
中央:鏑木清方《築地明石町》1927(昭和2)年 東京国立近代美術館蔵
右:鏑木清方《新富町》1930(昭和5)年 東京国立近代美術館蔵
物憂げな表情でそっと後ろを振り向く女性。振り向いた先には、佃の入り江に停泊している帆前船をかすかに見ることができます。舞台となった築地明石町は、かつては外国人居留地があった、ハイカラな場所でした。
丁寧に描きこまれた髪の毛や美しい着物の柄、朝霧を表現した背景など・・・実物を鑑賞しないと分からない素晴らしさがあります。
幻とも言われた三部作を、ぜひ間近でご覧ください。単眼鏡があるとより楽しめそうです◎
清方の作品を思い浮かべるとき、やはり美人が思い浮かぶと思います。そうした繊細な美人の描写も清方の作品らしさと言えますが、自身が愛した市井の生活や、大好きな文学、お芝居などをテーマにした作品が多く残されていることも大きな特徴です。
近年清方に関する研究が進んでおり、美術を大衆に開いたものにするために模索していたことが明らかになってきています。
展示風景より、鏑木清方《明治風俗十二ヶ月》昭和10(1935)年 東京国立近代美術館蔵
《明治風俗十二ヶ月》は、江戸時代の浮世絵師、勝川春章(しゅんしょう)による《婦女風俗十二ヶ月》からヒントを得て制作された作品です。清方の記憶のなかでもとくに鮮明に残っていた明治30~32、33年までの風俗が、商家の暮らしを中心に描かれています。
たとえば1月は両家のお正月のようすが描かれています。4月は隅田川のお花見に来る雛妓を、8月は夏の川沿いに店を出すかき氷屋を。自身の思い出をもとに描かれた庶民の暮らしが、生き生きと表現されています。
本作は清方自身も気に入っており、戦火を免れたことを知ったとき、泣いて喜んだというエピソードも残っているそうですよ。
鏑木清方のうっとりするような美人画から、人びとの生活をありのままに描いた作品までを幅広く堪能できる本展。
鑑賞のあとは、特設ショップで展覧会オリジナルグッズを購入することができます。
なかでも図版が美しすぎる図版がおすすめ! トートバッグ付きのタイプも販売されていますよ。
また、東京国立近代美術館では同時開催の所蔵品展として、ピエール・ボナールの《プロヴァンス風景》を特別公開する小企画も開催されています。こちらもお見逃しなく!
作品保護のため、会期中一部展展示替えがあります。