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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、琳派などの日本美術でよく見聞きする「屏風絵」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
私たちがふだん美術展で観ている絵画。カンバスに描かれたものや紙、木材、ガラス、アクリル板など、さまざまな素材に描かれたものを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
絵画の始まりは、壁に描かれた絵だったといいます。もっとも古くは、洞窟や岩石の壁に描かれ、建物ができてからはその壁や扉、柱などに描かれました。
なかでも洞窟画で有名なのは、1940年に発見されたフランス南西部・ドルドーニュ県のベーゼル川河谷にある、旧石器時代の遺跡「ラスコー洞窟」の壁画です。
ラスコーの洞窟壁画(一部)
先史時代の洞窟壁画で有名なラスコーの壁画には、牛や馬、鹿などの動物が豊かな色彩で描かれています。
こうした壁画は日本だと、世界最古の木造建築物として世界遺産に登録されている京都・法隆寺金堂や、10円玉に描かれている平等院鳳凰堂のものが良く知られています。
時代は進み、室内にインテリアデザインの追求などの装飾的な要素が高まると、屏風や襖、障子など可動的な壁に絵が描かれるようになりました。これを、美術の世界では「障屏画(しょうびょうが)」あるいは「障壁画(しょうへきが)」と呼びます。
屏風やついたて、襖、障子のような耐久性の弱い壁に絵が描かれるのは、東洋または日本独自の文化だそうです。
特に日本の場合は、その絵を一介の装飾家ではなく、琳派の発展に貢献した尾形光琳や、幕府お抱えの絵師集団・狩野派など一流の絵師が手がけ、なかには代表作が存在するという、特殊な絵画形式に分類されています。
江戸時代の鎖国が終わり、たくさんの外国人が日本に来て、日本建築の中に描かれたそれらの絵を見たとき、クオリティーの高さにとても驚いたそう!
そもそも、屏風は中国で一面ずつふち取りをして、革ひもでつなぐ形で考案されました。その後、蝶つがいでしっかりと連結し、全体を一枚の絵画として製作する方法へと発展します。
ヨーロッパにも屏風に似たついたてがありますが、同じ可動式の壁であっても日本の屏風のように、折り畳みができ、また幅を自由に調整して広げることができるものではなかったそうです。
屏風の数え方を覚えよう!
美術展などで観られる屏風絵の展示説明で、「六曲一隻」や「二曲一双」などの独特な単位を見たことはありませんか? そんな屏風の珍しい単位や、数え方について詳しく説明していきます。
屏風は通常、二面、四面、六面、八面から構成されるのが一般的とされています。おうぎ型に開かれるので、一面一面を「扇(せん)」と数えます。そして、各面を曲げて開くので二曲、四曲、六曲、八曲屏風と呼びます。
また、曲げることを「折る」とも言うので「二つ折り屏風」、「四つ折り屏風」・・・などと呼ぶこともあるそう! 基本的には、「曲」を使うのでこちらを覚えてもらえればと思います♪
このように構成された一単位を「隻(せき)」と呼び、二単位を組み合わせたものを「一双(そう)」と言います。そのため、例えばこの図の「左隻(させき)」だけ展示されている場合は、「六曲一隻」と呼び、「右隻(うせき)」と合わせて展示されている場合は、「六曲一双」と呼びます。
ちょっと難しいですが、慣れてくると友だちにじまんできるかも? 屏風絵の鑑賞の際に、役立ててもらえると嬉しいです。
狩野永徳「唐獅子図屏風」
狩野永徳「唐獅子図屏風」(右隻)16世紀後半
「唐獅子図屏風」は、豊臣秀吉が講和のために毛利家に贈った陣屋屏風(*)だと伝わっています。しかし、高さ2mを超える異例の大きさから、近年では聚楽第(じゅらくだい*)の障壁画として描かれたものではないかと推測されています。
*陣屋屏風(じんやびょうぶ):合戦の際に陣地に設営された陣屋に置かれる屏風のこと。
*聚楽第:豊臣秀吉が京都の大内裏の跡地に建てた城郭兼邸宅のこと。文録4年(1595)に解体されたため、現存していません。
作者の狩野永徳は、狩野派の様式を確立した狩野元信の孫にあたり、織田信長に見いだされ、次代の空気を読む鋭さと、祖父ゆずりの才能で天下人の求めに応えるダイナミックな作品を多く制作しました。
その代表例が、本作のように画面全体に金箔を貼り付けて描く金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)です。
この「唐獅子図屏風」は金地の上に、権力のシンボルとして実物大の獅子を描き、天下統一を目指す時代の覇者の心を見事に描き表した作品です。
長谷川等伯「松林図屏風」
長谷川等伯「松林図屏風」(右隻)16世紀末
織田信長と豊臣秀吉という2人の天下人を象徴とする安土桃山時代は、権威を示す、金や色鮮やかな色彩を使用した豪華な絵画作品が求められました。
そんな時期に、能登から上京して永徳と競ったのが、水墨画の傑作とされる「松林図屏風」を描いた長谷川等伯(とうはく)です。
本作は、秀吉から依頼された祥雲寺(しょううんじ)の障壁画を作成するという大仕事の途中で、跡継ぎの大事な息子を亡くし、失意の中で描き上げた作品だといいます。
等伯のなかでは特殊な作品で、もやのなかに薄っすらと松林を描き、墨の濃淡の使い分けと絶妙な余白のとり方で空気感を表現しています。
余白をたっぷりとるのも、日本美術ならではの技法! ほかの日本美術でも「余白」に注目して鑑賞してみてください。
安土桃山時代は、南蛮貿易が盛んになった時代です。なじみ深いお菓子であるカステラや西洋の地図、書籍、そして西洋絵画なども南蛮貿易によってもたらされました。
これらを参考に描かれたと推測される南蛮屏風が、現在も日本各所の美術館に収蔵されています。
その代表作のひとつが、宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する「二十八都市萬国絵図屏風」です。西洋絵画特有の陰影を使った表現が見られる本作は、徳川家から天皇へ献上され、明治天皇お気に入りの作品だったと言われています。
この他にも、西洋風の屏風絵で有名なものは、サントリー美術館と神戸市立美術館のそれぞれが収蔵する重要文化財「泰西王侯騎馬図」や、MOA美術館の重要文化財「洋人奏楽図屏風」などがあります。
屏風絵の歴史から数え方、また有名な作品などを紹介しました。
歴史の教科書などで、「洛中洛外図屏風」という作品を見たことはありますか?
本作は、京都市中とその郊外を描き込んだ一双の屏風で、右隻に東山の景色、左隻に北山から西が描かれています。さらに、春夏秋冬の時間的な経過も盛り込まれています。
京都の景観は戦国期後半から江戸初期にかけて目まぐるしく変化しました。一口に「洛中洛外図屏風」と言っても、国立歴史民俗博物館が所蔵する「歴博本」や、山形県の米沢市上杉博物館が所蔵する「上杉本」など、さまざまな種類があります。
ちなみに米沢市上杉博物館公式サイトでは、WEB上で「上杉本」を見ることことができますよ!
「上杉本」は、織田信長が上杉謙信に贈ったもので、16世紀中期頃の京都の景色を描いています。この屏風に挟まれるよう謙信は座って、天下を統一した気分を味わっていたそう。
広い空間を区切る可動式の壁以外の使い方もあることが、わかりますね。
【参考書籍】
・矢島新『マンガでわかる「日本絵画」の見かた 美術展がもっと愉しくなる!』誠文堂新光社 2017年
・守屋正彦『てのひら手帖 図解 日本の絵画』東京美術 2014年
・瀬木慎一『日本美術 読みとき事典』里文出版 2002年