ピーテル・ブリューゲル(父)/10分でわかるアート

10分でわかるアートとは?

10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。

作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。

今回は、16世紀半ばに活躍した「ピーテル・ブリューゲル(父)」について詳しくご紹介。

「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。

画家、ピーテル・ブリューゲル(父)とは?

ピーテル・ブリューゲル(1525/30-1569)は、フランドル出身の画家です。

出身地フランドルは中世以降、毛織物業で栄えた地域です。

現在でいうと、ベルギー西部を中心にオランダ南西部からフランス北東部あたりの地域で、英語名はフランダースです。

14世紀にはブルゴーニュ公領、15世紀にはハプスブルク家の所領となり、以後1831年のベルギーの独立まで、フランドルはフランスやオランダなどの支配を受けていました。

地獄の絵を多く描いた同名の長男、ピーテル・ブリューゲル(1564-1636)は「地獄のブリューゲル」と呼ばれ、また、花の描写に優れた次男のヤン・ブリューゲル(1568-1625)は「花のブリューゲル」と呼ばれています。

そんな息子たちと区別するため、「ブリューゲル(父)」あるいは「農民のブリューゲル」と呼ばれています。

ここでは、「ブリューゲル(父/以下、ブリューゲル)」を重点的に紹介していきます。

さまざまな国の支配された祖国を風刺したブリューゲル

ブリューゲルは、ネーデルラント(オランダ)の画家ヒエロニムス・ボス(1450-1516)の影響を受け、版画家として活動を始めました。

しかし、作風がボスに似ていたため、自分の作品がボスの作品と勘違いされることがよくあったのだそう。

そのことに悩んだブリューゲルは、自身の絵をもう一度見直して版画家から油彩画家に転身します。


《ネーデルランドの諺》1559年 油彩 絵画館(ベルリン)

1477年、神聖ローマ帝国ハプスブルク家の所領となったフランドル。ハプスブルク家のスペイン王位継承により、フランドルはスペイン領となりました。

《ネーデルランドの諺(ことわざ)》は、スペインに支配されるフランドルを風刺した作品です。

本作の中にはなんと、119以上のネーデルラントのことわざが描かれているのだそう。

ブリューゲルはことわざを一つひとつ本で調べ、その意味を絵として描きました。


《ネーデルランドの諺》(部分)1559年 油彩 絵画館(ベルリン)

「偽善者」を意味する「Een pilaarbijter(柱を噛む人)」を表すため、画面左下に柱に抱きつき、柱を噛む男性が描かれています。

その横を見ると、「不可能なことを試みる」を意味する「Met het hoofd tegen de muur lopen(頭を壁に向けて歩く)」を表す、レンガの壁に頭をぶつけている男性が描かれています。

フランドルの日常風景を描く

1569年頃からブリューゲルは画風を変えて、フランドルに暮らす農民たちの日常風景を描き始めます。

ボスから受け継いだ作風を取り入れつつ、農民風俗に宗教的寓意(ぐうい)を盛り込んだ作品を多く制作しました。


《農民の婚宴》1568年頃 油彩 美術史美術館(オーストリア・ウィーン)

フランドルの日常風景を描いた代表作《農民の婚宴》。

納屋のような建物の中で執り行われる農民同士の婚礼の宴のシーンが描かれています。


《雪中の狩人》1565年 油絵 美術史美術館(オーストリア・ウィーン)

こちらは雪の積もる山で、さまざまな人の生活を描いた《雪中の狩人》です。

崖の上には、猟犬を何匹も連れた男たちの姿が。どうやら一狩り終え、家路についているようにも見えますね。

男たちがいる山を下った先には、凍った池でスケートしている人びとも描かれています。これらはブリューゲルらしい農民風俗の表現と言えるでしょう。

本作は月歴画といわれる、1年間のそれぞれの月を行事や季節で表現したシリーズ絵の一作だといわれています。

おわりに

自身が暮らすフランドルの日常風景に、宗教的な寓意を盛り込んだ農民画や寓意画を多く制作したピーテル・ブリューゲル(父)。

モチーフを探しに何度も農村へ足を運んでいた彼は、パトロンのフランクフルトとともに農村の祭りに参加していたと言います。

当時、パトロンと画家が同等に付き合うのも、とても珍しいことだったのだそう。ブリューゲルの人柄が伺えますね。

そんなブリューゲルですが、1569年にまだ幼い長男ピーテル、次男ヤンを残してこの世を去ります。享年44歳でした。

父・ブリューゲルを早くに亡くした息子たちは、母・マイケンに絵を習い、後に「地獄のブリューゲル」「花のブリューゲル」として、現代まで父とともに名を連ねています。

【参考書籍】
・佐藤晃子『この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門』株式会社美術出版社 2008年
・池上英洋『いちばん親切な西洋美術史』株式会社新星出版社 2016年