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2024年11月1日
生誕100年 山下清展―百年目の大回想/SOMPO美術館
新宿駅から徒歩5分の距離にある「SOMPO美術館」は、アジアで唯一、フィンセント・ファン・ゴッホの代表作《ひまわり》に出会える美術館として親しまれています。
ゴッホの誕生から約70年後、のちに「日本のゴッホ」と呼ばれる、放浪の天才画家・山下清(1922-1971)が生まれます。
その生涯は、映画やテレビドラマの題材としてたびたび取り上げられてきました。
同館では、そんな山下清の画業と人生を振り返る、生誕100周年を記念した大規模な展覧会を開催中です。
1922年、東京の浅草で生まれた山下清。49歳という若さで亡くなるまで、多くの作品をこの世に残しました。
美術ファンのみならず、テレビドラマや映画を通じ、「裸の大将」の愛称でも知られ、今もなお、多くの人びとに愛されています。
3歳のとき、高熱を伴う重い消化不良が原因で後遺症が残った清は、吃音(きつおん)のために、周囲に馴染むことができませんでした。
そんな清にとって唯一とも言える楽しみは、昆虫を捕まえ、観察して、絵を描くことでした。
安井曾太郎(やすいそうたろう)をはじめ日本洋画の巨匠たちも、少年時代の清の作品を美しいと賞賛するほど、清の才能に惚れ込んでいたといいます。
第1章「山下清の誕生ー昆虫そして絵との出合い」では、清がいかにして絵と出合い、描き始めたのか、少年時代の清を作品を通して知ることができます。
絵のを描くことに楽しみを見い出すものの、父が亡くなり母子家庭となった清の発達障害が目に留まるようになり、周囲からの清に対するイジメが増します。
そのようすを見かねた母は、清を通常の小学校から千葉県の養護施設「八幡(やわた)学園」へと編入させます。
この学園で行われていた、「ちぎり絵」の授業に興味を持った清は、そのテクニックを磨き、ちぎり絵を独自の手法からなる「貼絵」へと進化させていきました。
山下清《ともだち》1938年 山下清作品管理事務所蔵
みるみるうちに貼絵の技術が上達した清でしたが、その一方で学園生活に飽き、1940年に突然放浪へと旅立ちます。
放浪へ出た理由の一つとして、戦争へ行くのが怖く、徴兵検査から逃れるためだったそうです。
山下清《高射砲》1938年 山下清作品管理事務所蔵
第2章「学園生活と放浪への旅立ち」では、学園での出来事や戦争真っ只中の日本のようすが貼絵を通して表現されています。
また、放浪のようすを記録した放浪日記、放浪中に身に着けていたリュックサックなども展示されています。
放浪日記 6冊 1940-1943年 山下清作品管理事務所蔵
放浪中に使用したリュックサックと認識票 山下清管理事務所蔵
1954年、新聞記事で放浪の画家として大きく取り上げられたこともあり、清の才能は世間に知れ渡ることとなりました。
1956年に東京で開催された展覧会には、約80万人が来場し、大盛況。この頃から、貼絵だけにとどまらず、ペン画や油絵にも挑戦しています。
第3章「画家・山下清のはじまりー多彩な芸術への試み」では、点描のような独特な表現で描いた油絵などが展示されています。
下の写真は、油絵で描かれた、ゴッホの《花咲くアーモンド》を彷彿とさせる《ぼけ》という作品です。
山下清《ぼけ》1951年 山下清作品管理事務所蔵
春の訪れとともに開花した木瓜(ぼけ)の息吹が感じられる一方で、どこか物悲しさを漂わせています。
また、ペン画については、やり直しが効かないことから、普通の画家は嫌うそうですが、清は複雑な絵でも間違えず、すらすらと描けたことから、その力を思う存分に発揮。
アジアで初開催となった、1964年の東京オリンピックの歴史的瞬間もペン画で残しています。
山下清《東京オリンピック》1964年 山下清作品管理事務所蔵
また、東京会場では、東京都が所蔵する、東京オリンピックの開会式のようすを水彩画で描いた作品《日本、しっかり》も特別に展示されていますので、お見逃しなく。
清の放浪への思いは、日本だけにとどまらず、外国にも。
第4章「ヨーロッパにて―清がみた風景」では、ヨーロッパを中心とする12か国を巡った取材旅行を題材に描いた作品が展示されています。
特に、細かい紙片やこよりを用いた貼絵は、技術と表現の両面で大きな進展を見せており、清が作った貼絵の中でも最高傑作と言われています。
山下清《スイスの町》1963年 山下清作品管理事務所蔵
画家として多忙を極めていた清ですが、長年酷使した目の不調から眼底出血、さらには脳溢血により、1971年、その生涯に幕を閉じます。
第5章「円熟期の創作活動」では、清の遺作・東海道五十三次などが展示されています。
作品は、ペン画で色紙に描かれ、最終的には貼絵にする構想だったそうですが、貼絵にはならず清は逝去。
色紙も散逸しましたが、それを基にした版画55点が完全な形で残っており、その全体像と、最後の最後まで制作を続けていたことを今に伝えています。
清は、49年という短い生涯の中で、記憶した出来事一つひとつを作品に落とし込んでいったように思えました。
盛りだくさんの展示内容ですが、個性的な創作活動を続けた山下清の世界を体感しに、足を運んでみてはいかがでしょうか。
また、展示の最後には、常設作品としてゴッホの《ひまわり》も展示されています。
こちらも合わせてお楽しみください。
© Kiyoshi Yamashita / STEPeast 2023