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2024年11月1日
秋季特別展「みちのく いとしい仏たち」/龍谷ミュージアム
龍谷ミュージアム外観
京都駅から歩いて15分ほど、西本願寺の真向かい。すだれが波打っているような特徴的なファサードの建物が目を引きます。
西本願寺に設けられた僧侶の教育機関・学寮を起源とする龍谷大学。龍谷ミュージアムは、大学創立370周年事業の一環として2011年に開館した仏教専門の総合博物館です。
龍谷ミュージアムでは「みちのく いとしい仏たち」が開催されています。
仏像と聞いて誰もが思い浮かべるのは、有名寺院にある立派な仏像ではないでしょうか。
でもこの企画展に展示されているのは、小さくて素朴な仏さまたちなんです。
展示風景
「みちのく」=東北地方には江戸時代以降、小さな祠やお堂に祀られる素朴な仏が伝えられてきました。
地元の職人や大工らが自らの集落のために手がけた小さな仏さま。大寺院の本堂に納められる、仏師が彫った仏像とは対照的な仏たちです。
そんな「おらほ(俺たち)の仏さま」約130体が、青森、岩手、秋田県からはるばる京の都へお出ましになりました。
展示風景
会場には、朴訥とした仏が輝く照明の下に展示されています。
「場違いなところに来てしまった・・・」と戸惑っているようにも見える、可愛らしい仏さま。それでは、みちのくの素朴な仏さまたちにお目にかかりましょう。
山神像 江戸時代 兄川山神社(岩手県八幡平市) 八幡平市指定文化財
「山神像」なのですから「神」のはずなんですが、頭は仏の螺髪(らほつ)で、額には白毫(びゃくごう)らしきものが。
不思議な服を着たこの像は、岩手県八幡平市の兄川山神社にひっそりと祀られていたもの。
背景のパネルは山神のふるさとの風景。林業が盛んで、地域の人びとは山と共に生きてきました。
地元でもあまり知られていない像ですが、林業に携わる人びとはこの山神さまに日々の安全を一心に祈ったのです。
伝吉祥天立像 平安時代11世紀 天台寺(岩手県二戸市)岩手県指定文化財
岩手県二戸市の天台寺はみちのく観音信仰の聖地。霊木信仰があり、桂の木の一木造りで作られています。
背丈は150cmほど、丸いお顔にぽっこりしたおなか。
よく見ると、衣は墨で文様が描かれており、裾の方のひだも手描きです。
仏像の常識からはちょっと外れてますが、村の人が筆をふるったおしゃれな衣の仏さまは、なんだか愛らしい。
女神像 鎌倉時代 惠光院(青森県南部町) 青森県重宝
青森県惠光院の女神像。背景の雪山は名久井岳で、女神は名久井岳のご神体なのだそう。
笑みをたたえふっくらとした姿は、女神というより近所のおばさんみたいで、どんなことでもやさしく聞いてくれそうです。
六観音立像 江戸時代 宝積寺(岩手県葛巻町) 岩手県指定文化財
背面に記された名前は『十一面観音』なのに顔はひとつ、『千手観音』なのに手は2本と、ちょっと不思議な観音さまたち。
仏像の定義から外れていることから、仏師が作ったものではなく地元の宮大工が手がけたものでしょう。
笑みをたたえるものが多いみちのくの仏のなかで、この観音さまたちの表情はどこか憂うつです。
地域で災いが起こり、その供養のために祀られたのかもしれません。
多聞天立像 江戸時代(1790年頃) 本覚寺(青森県今別町)
漁師町のお寺で、地元の漁師たちに大切にされてきた像。
モチーフは多聞天なのですが、龍神を背負い、大黒天の印もつけて、また閻魔王でもあるんです。
一人4役を務める“ハイブリッド仏” は、今も昔も漁師たちの祈りを受け止めてきました。
江戸時代の人たちにとって「地獄」は現代よりもずっと身近。死後、ほぼ地獄に堕ちると考えられていました。
特にみちのくは厳しい気候ゆえに飢饉のない年のほうが少なかったくらいで、死とはいつも隣り合わせ。
こうした背景からか、みちのくには閻魔様をまつるお堂が多く見られます。
鬼形像ほか 江戸時代 正福寺(岩手県葛巻町) 葛巻町指定文化財
お堂はお年寄りが集う村の集会所のような場所でした。
お堂で亡くなった人びとを弔い、そこに鎮座する像を見ながら、自分たちも間もなく赴くだろう地獄についてあれこれ語り合ったのだそう。
なんだか、地獄の鬼たちの表情は楽しげに見えませんか?
像には、死の恐怖や不安をほぐす目的もあったのではないでしょうか。
十王像 江戸時代(1643年頃) 朝日庵地蔵堂(岩手県奥州市)
地獄で裁判を行うのが閻魔大王を始めとする十王。いわば地獄の裁判官ですから普通は厳めしいお顔のはずですが、この十王像の表情は楽しそうなこと!
「どうせ地獄に堕ちるのなら、せめてやさしく?ってほしい」みちのくの人びとの、そんな思いが込められているのでしょう。
展示風景
展示室に勢ぞろいした、小柄で素朴なみちのくの仏さま。
みちのくにも、京都や江戸の仏師が彫った威厳ある仏像が伝わっていなかったわけではありません。
みちのくの人たちは立派な仏像の存在を知りながらも、ちょっと愚痴を聞いてくれそうな「おらほ(俺たち)の仏さま」と暮らすことを選んだのです。
如来立像 江戸時代 観音寺(青森県青森市)
まだ彫っている途中のような、大ざっぱなつくりの如来像。
ですが、まるで時代の先端を行く現代美術の彫像のようでもあるのです。
童子跪坐像 右衛門四良 江戸時代(18世紀後半) 法蓮寺(青森県十和田市)
小さな子どもがひざまずいて手を合わせています。頭には三角の頭巾。冥土に旅立つ死装束です。
みちのくは、厳しい気候から飢饉などで亡くなる子どもも多かったといいます。
ひざ下は丸みを帯び、像が前後に揺れるしくみ。まるで手を合わせて「ごめんなさい」をするかのよう。
幼くして命を落とした子どもの、かわいくも哀しい像です。
子安観音坐像 江戸時代 慈眼寺(青森県五所川原市)
おさげ髪の女性が子供をしっかりと抱く観音像。子供の成長を願うとともに、亡くなった子の追善のための像でもありました。
背筋を伸ばし身体に似合わず大きな手で子を抱く姿は、凛として美しい。
展示風景
「だまって何でもうんうんと聞いてくれるほとけさま」
会場のスクリーンにみちのくの風景と共に映し出された言葉が、すべてを言い表わしているようです。
みちのくの人びとに必要だったのは威厳ある立派な仏像ではなく、つらい日常の愚痴を聞き、生活の厳しさを癒やしてくれる仏さまだったんですね。
この企画展では、記念講演会やナイトミュージアムなどイベントも盛りだくさん。
かわいい仏さまたちは、京都展の終了後、東京の会場へ向かいます。詳しくは美術館公式サイトをご覧ください。