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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
日本には、美術館・博物館がたくさん存在しています。
年に何度か足を運んだり、旅先でお楽しみとして訪れたり・・・素敵な館が全国のさまざまな場所にありますよね。
「学芸員の太鼓判」は、全国の館の自慢の名品を詳しく知りたい! そんな想いから生まれた企画です。本連載では、全国の美術館・博物館の自慢の収蔵品を詳しくご紹介。
今回は、ジャンルにとらわれず多様な展覧会を開催し、幅広い層に親しまれる、世田谷文学館の収蔵品を紹介します。
世田谷文学館
世田谷文学館は、1995年に東京23区で初の地域総合文学館として開館しました。主なコレクションとして世田谷区にゆかりのある文学や、文学者に関する資料など、10万点以上におよぶ資料を収蔵しています。
年に2回開催されるコレクション展とあわせて、ユニークな企画展も開催されています。その内容は、イラストやマンガ、デザイン、現代アートなど実に多様です。
今回詳しくお話を聞いた学芸員は、宮崎京子さん。
宮崎さんは、企画展やコレクション展などの展示、資料調査、普及事業、広報などさまざまな業務を担当しています。
そんな宮崎さんより、世田谷文学館が誇る作品、宮崎さんのイチオシ作品をお聞きしました。
公式サイトはこちら
芥川龍之介 齋藤茂吉あて書簡 1927年3月28日(部分)世田谷文学館蔵
こちらは、小説家の芥川龍之介(1892-1927)が、歌人の齋藤茂吉(1882-1953)にあてた手紙です。
手紙や日記は、発表を前提にした小説やエッセイなどの文学作品と違いプライベートなものなので、本来人目に触れない性質のものです。しかし、後世の研究においては作家や作品の背景を探るための貴重な資料となります。
内容は、発表した小説『河童』(『改造』1927年3月号)や『蜃気楼』(『婦人公論』同年3月号)のこと、最近読んだ本や、体調のことなどを記しています。
芥川は小説の執筆に使う松屋製の200字詰め原稿用紙を便せんとして使うことがありました。そのため、書き出しに「原稿用紙にて御免蒙り候」とあります。
日付は1927年3月28日。芥川が35歳で自死する約4ヶ月前に書かれ、これが茂吉にあてた最後の手紙になりました。
手書きだからこそ伝わる生々しさ!
手書きの文字は人それぞれ異なるものです。また、同一人物の筆跡であっても、状況や気分、年を経て変化していきます。書き手のリアルがあらわれる自筆の文字は、時に書かれた内容以上の情報を伝えることがあります。
晩年、健康状態が悪化していた芥川は、歌人であり、精神科の医師でもあった茂吉の診察を受けるようになりました。
「小生などは碌々三十年、一爪痕も残せるや否や覚束なく、みづから『くたばつてしまへ』と申すこと度たびに有之候」と書き綴った手紙から4ヶ月後、芥川は帰らぬ人となります。芥川の死を知った茂吉は、日記に「ソレデモナカナカネムレズ。芥川ノ顔ガ見エテ仕方ナイ」*と記しています。
*『斎藤茂吉全集』第29巻、岩波書店、1973年所収
実体験から書かれた、作中の不思議な出来事
「この頃又半透明なる歯車、あまた右の目の視野に廻転する事あり」
芥川は、視界に半透明の歯車が回転するのが見えると手紙に書いています。これは、芥川の最晩年の小説『歯車』に登場する主人公の体験としても描写されています。
僕はかう云う経験を前にも何度か持ち合わせてゐた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、―それはいつも同じことだつた*
*「歯車」より『西方の人』、岩波書店、1929年所収
芥川龍之介『西方の人』、岩波書店、1929年
亡くなる前年に芥川は強い不眠症に悩まされ、茂吉に精神安定剤の処方を依頼しています。胃弱、痔疾、神経衰弱に苦しみながら創作を続けるなか、義兄家族の不幸も重なり、この頃は手紙に書いたとおり「疲労に疲労を重ね」た状態でした。
ちなみに、視界に「歯車」が見える症状は幻視ではなく、閃輝暗点(せんきあんてん)という脳の血流異常が原因の症状だとされています。*
*『芥川龍之介全集』第15巻、岩波書店、1997年を参照
『歯車』を収録する没後刊行された作品集『西方の人』の表紙絵の担当は小穴隆一(おあな りゅういち、1894-1966)。モチーフとなった観音像は、芥川が長崎を旅した際に気に入って求めたマリア観音です。
作品のポイント
・晩年の芥川を知るための貴重な資料
・小説にも描写された不思議な実体験
手紙から伝わる友情
芥川と茂吉がはじめて会ったのは、1919年5月に長崎を訪れたときのことでした。
当時、茂吉は精神科医として県立長崎病院に勤務しており、茂吉の歌集『赤光』(1913年)を愛読していた芥川は病院を訪ね、以降、ふたりの親交は芥川が亡くなるまで続きました。
芥川龍之介自筆の短冊 年不詳 世田谷文学館蔵
唐寺の玉巻芭蕉ふとりけり 龍之介*
*「唐寺の玉巻芭蕉肥りけり」として「長崎日録」『百艸』、新潮社、1924年所収
「唐寺」は長崎市にある崇福寺のことで、芥川が3年後に長崎を再遊したときに詠んだ句です。
ふたりは手紙に、短歌や俳句を添えることがありました。芥川は歌人の茂吉に対する尊敬の気持ちから、「句1/3人前、字1/3人前、短尺(短冊)1/3人前の割にて御らん下され度候」(茂吉あて書簡 1927年2月2日)と、手紙で自作の俳句を謙遜しています。茂吉旧蔵の短冊も、芥川からの手紙に同封されたもののひとつだと思われます。
作品のここに注目!
・芥川は茂吉の友人であり、ファンでもあった
・手書きのリアルさから伝わる芥川と茂吉の関係
芥川の茂吉宛書簡は、コレクション展「セタブン大コレクション展 PARTⅡ」(2022年4月9日~9月11日)で展示予定です。手書きの文字から伝わるふたりの友情を、ぜひ間近で観てみてはいかがでしょうか。
植草甚一《USUALLY 100YEN》1968年頃 世田谷文学館蔵
《USUALLY 100YEN》は、エッセイストであり評論家の植草甚一(うえくさ じんいち、1908-1979)のコラージュ作品です。本作は、エッセイ集『モダン・ジャズの発展 バップから前衛へ』(1968年)の挿画として使われました。
「J・J」の呼び名で親しまれた植草は、映画やミステリーをはじめ、モダン・ジャズ、カウンター・カルチャーなどの幅広い領域で活動。また、海外の幅広い文化の紹介者にもなったことから、1960年代後半から70年代にかけて、団塊の世代の若者から熱烈な支持を集めました。
「大入袋」に描いたイラストレーション
《USUALLY 100YEN》は、9枚の大入袋に左右対称の幾何学模様を描き、ボール紙に貼り付けています。
植草甚一《USUALLY 100YEN》(部分)
よ~く見ていると・・・擬人化されたモチーフのような「頭部」「胴体」「足」にも見えてきます。「大入」の漢字だとすぐに気がつかない人もいるかもしれません。
ほかにも、大入袋をもとに左右対称の幾何学模様を描いたシリーズがあります。
植草甚一(無題)1960-70年代(面1)(面2) 世田谷文学館蔵
こちらはペンと色鉛筆で彩色した2種類の作品を、背中合わせに貼り付けています。
たいてい100円
タイトルは、大入袋にはたいてい100円が入っていることから着想しています。
台紙の裏面には「To Mr. Makoto Wada / J.Uekusa / April 1969」のサインがあります。植草は、イラストレーターでグラフィック・デザイナー、映画監督、エッセイスト、作詞・作曲家の和田誠(1936-2019)と、1960年代から親しく交友していました。和田に作品を贈るために書き入れたサインだと思われます。
《USUALLY 100YEN》裏面(部分)
興行で集客の多い「大入り」のときに関係者に配られる大入袋ですが、植草の日記帳にも、映画館から配布された100円札入りの大入袋が貼られたページがあります。
作品のポイント
・よく見かける大入袋を植草らしい作品に昇華
・幅広い分野への興味から生まれた独創的なデザイン
コラージュの材料
植草の最初のコラージュは、1927-8年頃、第一早稲田高等学院理科の学生だったときのこと。当時、村山知義(1901-1977)の『構成派研究』(1926年)に影響を受け、自宅近くの古本屋で買った機械のカタログを切り貼りしたことから始まったそうですが、作品は現存していません。*
*「ぼくの最初のコラージュ」より『植草甚一スクラップブック19 ぼくの東京案内』晶文社、1977年、及び『世田谷文学館収蔵資料目録3 植草甚一関連資料』世田谷文学館、2015年を参照
植草はその後も洋書や洋雑誌などを切り抜き、コラージュの主な素材にしました。世田谷文学館には、雑誌の広告や古本をばらしたページなど、さまざまな印刷物の切り抜きが、植草のコラージュ素材として残されています。
植草甚一 コラージュ素材 世田谷文学館蔵
西洋の古版画や挿絵図版などは区別され、「高い材料」と書いた封筒の中にストックしていました。これらの「コラージュ以前」の材料からも、植草独自の着眼点が見て取れます。
植草は、日常のなかで気になった物をスクラップし、散歩や買い物を通じて興味をひろげ知識を深める「勉強」を、生涯一貫して楽しんだ人でもありました。
作品のここに注目!
・幅広いイメージ素材から創作のヒントを得ていた
・世田谷文学館ではコラージュの素材も収蔵している!
《USUALLY 100YEN》は、現在開催中のコレクション展「セタブン大コレクション展 PARTⅠ」(2021年10月16日~2022年3月31日)で展示中です。ぜひこの機会をお見逃しなく!
「文学」の魅力を伝えつつ、今の時代にマッチした展示を提供しつづける世田谷文学館。
ほかにも世田谷文学館のコレクションでは、自動からくり人形作家「ムットーニ」こと武藤政彦(1956- )の作品が来館者の人気を集めています。
《漂流者》2007年/原作:夏目漱石『夢十夜』より「第七夜」(部分)
文学作品をもとに、人形と装置の多様な動きの中で繰り広げられる「ムットーニのからくり劇場」を体験してみてはいかがでしょうか?
★詳しくはこちら(https://www.setabun.or.jp/collection/muttoni/)
次回は武蔵野美術大学 美術館・図書館の自慢の名品を紹介します。お楽しみに!