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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、印象派の影響を受けながら新しいスタイルを確立した「ポスト印象派」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
西洋美術の中でもダントツの人気を誇る「印象派」。19世紀後半に、当時のフランス美術界を牛耳っていたアカデミーの掲げる古典主義に対抗するため、クロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールなどの画家たちによって立ち上げられました。
印象派の画家たちは互いに強い絆で結ばれていましたが、1880年代になるとその結びつきも薄くなり、1886年の印象派展の開催を最後に終わりを迎えます。
ひっそりと息を潜ませていく印象派に代わり、1910年にロンドンで企画された「マネと後期印象派展」に新しい画家たちの作品が展示されました。その画家たちは、ポール・セザンヌとポール・ゴーガン、フィンセント・ファン・ゴッホの3人です。彼らはこの展覧会の名前から「ポスト印象派」と呼ばれています。
(左)ポール・セザンヌ《リンゴとオレンジ》1895-1900年
(中央)フィンセント・ファン・ゴッホ 《ひまわり(15本)》 1889年
(右)ポール・ゴーガン《タヒチの女(浜辺にて)》1891年
ポスト印象派と呼ばれる3人ですが、技法も理念もそれぞれ独創的で共通点はありません。しかし、彼らの活躍によって20世紀以降の絵画の進む道がはっきりと示されました。
ポスト印象派は印象派の続きと思われがちですが、実は「脱印象派」という意味であることはご存知でしょうか。
上記の3人の作品を見てもらうとわかるのですが、印象派が「見たままの風景の一瞬を捉え、光まで描く」ことをセオリーとしているのに対し、ポスト印象派の画家たちは「風景をそのまま描くのではなく、自分たちが見たときに感じた感情を絵で描き表す」ことを主軸にしています。
そのため、モネたち印象派の画家たちの作品よりも、ポスト印象派の画家たちの作品は色やりんかく線、形がはっきりとしているのが特徴です。
では、実際にポスト印象派を代表する3人の画家について簡単に説明しつつ、代表作をひとつずつ見ていきましょう。
現代絵画の父と呼ばれるポール・セザンヌは1839年に、南フランスのエクスの町でブルジョアの息子として生まれました。
画家を目指してパリに出るも、生活は苦しく裕福な実家から仕送りを受け続ける身であったセザンヌ。彼の絵が売れ始めたのは50代になってからだったそうです。
ポール・セザンヌ《リンゴとオレンジ》1895-1900年
代表作のひとつである《リンゴとオレンジ》は、普通の静物画のように見えますが・・・実は、対象の本質を把握するために少しずつ視点をずらし、さまざまな角度から眺めたモチーフを単純化してカンバスに再構築する「構築主義」と呼ばれる技法で描かれています。
ちなみに、セザンヌにとってリンゴは、フランスの作家エミール・ゾラ(1840-1902)との友情のシンボルなのだそう。
セザンヌとゾラは中学生の時に出会いました。当時、いじめられていたゾラをかばって代わりに袋叩きにされてしまったセザンヌ。そんな彼にゾラは感謝を示すためにカゴいっぱいのリンゴを渡したというエピソードがあります。
色彩を分割しようとする印象主義へ真っ向から対抗する「総合主義」と呼ばれる新しい絵画の流行を生み出し、「色彩の画家」として才能を開花させた、ポール・ゴーガン。
最後の楽園・タヒチと呼ばれる、南太平洋諸島にあるフランス領ポリネシアで最大の島の姿を描いたことでも知られています。
ポール・ゴーガン《我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか》1897年
ゴーガンを代表する作品のひとつ《我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか》は、誕生と死のはざまでくり広げられる人生の輪廻を描いた作品だといわれています。
本作を描いた当時のゴーガンは、すでに近代化が進んでいたタヒチの姿に絶望するなか、最愛の長女の死の知らせも届き憔悴しきっていました。
すべてを失ったゴーガンは、本作を描いたのちに自殺未遂事件を起こします。本作は絶望の果てに描いた「遺書」でもあったと考えられています。
※ゴーガンについてもっと知りたい方はこちら
日本でもっとも有名で人気のある画家のひとり、フィンセント・ファン・ゴッホ。美術教育を受けていないゴッホは、レアリスムや印象派、浮世絵の影響を受けながら独自の力強いタッチを完成させました。
ゴッホの画家としてのキャリアは10年ほどで、生前に売れた絵も1枚だけだったそう。しかし、前衛的な画家や批評家たちの間では高い評価を受けていました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェ・テラス》1888年
本作では、ゴッホが南仏のアルルにいた時代によく足を運んでいたカフェを描いています。ゴッホは夜の風景であっても色彩豊かに描いており、実は本作には黒が全く使用されていません。
黒を使用しない技法はゴッホが得意とするもので、彼のほかの作品でも多くみられます。ぜひ、ゴッホのほかの作品を見かけた際には注目してみてくださいね。
「世界で最も忙しい駅」としてギネス世界記録®に認定された新宿駅の近くに建つSOMPO美術館。同館では、ゴッホの代表作《ひまわり》が収蔵されています。
同館が収蔵する《ひまわり》は、1888年8月に描かれた1点目の「黄色い背景のひまわり」(ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)をもとに、ゴッホがゴーガンと共同生活を送っていた1888年11月下旬から12月上旬頃に描かれたと考えられています。
常設で展示されているので、企画展と一緒に《ひまわり》を観ることができますよ。
1989年11月3日に開館した横浜美術館。開港以降の近・現代美術を幅広く紹介するほか、年間を通じて、約1万3千点の所蔵品からテーマごとに展示を行うコレクション展、多彩な企画展を開催しています。
ポール・セザンヌなどをはじめとする西洋美術品や日本洋画、彫刻や工芸などさまざまな作品を収蔵しています。
横浜美術館 公式サイト
※2022年5月現在は、大規模改修工事により休館中です。
松方コレクションが核となって1959年に設立した、西洋の美術作品を専門とする国立西洋美術館では、《水浴の女たち》などのゴーガンの作品が多く収蔵されています。
ドーバー海峡に面したディエップに滞在していた時に制作された《水浴の女たち》。単純化された人物や濃いりんかく線で描かれた本作は、印象派と訣別しようとしていたゴーガンにとって、重要な意味を持つものだと考えられています。
ここで紹介した美術館以外にも、ポスト印象派の作品は多く収蔵されています。気になる方は調べてみてはいかがでしょうか。
印象派の影響を受けつつも、新しいスタイルを確立したポスト印象派について、代表作と一緒にご紹介しました。いかがでしょうか。
ポスト印象派を支えたセザンヌ、ゴーガン、ゴッホの3人の作品は、20世紀以降に登場するキュビスムやナビ派、フォーヴィスムの画家たちに大きな影響を与えました。
印象派の考え方を脱して、新しい絵画表現の源となったポスト印象派の作品を西洋絵画の展覧会で見かけたときは、今回ご紹介した内容を思い出していただけると嬉しいです♪
さて次回は、国内でも多くのファンがいるポスト印象派の画家「フィンセント・ファン・ゴッホ」について、詳しくご紹介します。お楽しみに!
【参考文献】
・杉全美帆子『イラストで読む 印象派の画家たち』株式会社河出書房新社 2013年
・岡部昌幸 監修『西洋絵画のみかた』成美堂出版 2019年