ジョン・エヴァレット・ミレイ/10分でわかるアート

10分でわかるアートとは?

10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。

作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。

今回は、ロセッティとともにラファエル前派で活躍した画家「ジョン・エヴァレット・ミレイ」について、詳しくご紹介。

「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。

画家、ジョン・エヴァレット・ミレイとは

ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896)は、イギリス南部の都市であるサウサンプトンの裕福な家に生まれました。

ミレイの画力は幼いころからとても高く、11歳でロイヤル・アカデミー美術学校への入学を許された神童として注目を集めました。

ミレイはロイヤル・アカデミーで、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやホルマン・ハントと親交を深めます。そしてロイヤル・アカデミーの詰め込むような美術教育を批判し、1848年に「ラファエル前派兄弟団」を結成します。

ミレイの画風はリアリティを追求するものでした。そうした画風で描いたデビュー作《両親の家のキリスト》は、「キリストが貧相すぎる」や「聖母マリアが醜い」など酷評されてしまったそうです。

スフマート Sfumart ジョン・エヴァレット・ミレイ 10分でわかるアート 美術用語解説
ジョン・エヴァレット・ミレイ《両親の家のキリスト》1849~1850年

本作は、大工であったとされるキリストの父・ヨセフの仕事場を舞台に、キリスト、聖母マリアの聖家族に加えて、洗礼者ヨハネやマリアの母アンナが描かれています。

本来、聖家族は理想化して描かれるべきテーマでしたが、ミレイはリアリティを求めてキリストやマリアを普通の人として描きました。普通の人として描き上げることが酷評された理由でした。

《両親の家のキリスト》で美術界から非難され、孤立していたミレイ。そんな彼を支持したのは、当時カリスマ的存在だった批評家のジョン・ラスキンでした。オックスフォード大学の美学の教授だったラスキンの批評は、絶大な影響力を持っていたといいます。

ラスキンが「ラファエル前派」を支持したことにより、ミレイたちの評価は高まりました。その評価に応えるように、ミレイはラファエル前派の作品を代表する傑作《オフィーリア》を発表します。

スフマート Sfumart ジョン・エヴァレット・ミレイ 10分でわかるアート 美術用語解説
ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》1851~1852年

シェイクスピア作『ハムレット』のヒロイン・オフィーリアが川で入水自殺をするシーンを描いた本作。悲劇的なシーンですが、水面から出たオフィーリアの白い手や物憂げな瞳などが、彼女の美しさや優しさを際立たせています。

背景の草木に注目してみると、カラー写真と思うほど細かく描かれており、幼いころから高い画力を持っていたミレイの才能が見事に発揮されています。

1853年、ミレイはロイヤル・アカデミーの準会員となりました。その後は家族を養うために、時間のかかる細密描写をやめ、需要のある肖像画やロマンティックなテーマを描く人気画家として活躍しました。

ミレイの代表作《オフィーリア》の誕生秘話

ラファエル前派の傑作のひとつとなった、ミレイの《オフィーリア》。本作のモデルを務めたのは、ロセッティの妻エリザベス・シダルです。

オフィーリアを主題に選ぶ画家は、ミレイのほかにも多く存在しました。そのなかでも溺死の場面を描いたのは、ミレイだけだったそうです。

ミレイは本作を描くために、モデルのエリザベスをオイルランプの火で温めたバスタブに横たわらせて描きました。しかし真冬だったため、バスタブを温めていたオイルランプが消えてしまい、長時間にわたり冷水に浸かっていたエリザベスは風邪をひいてしまいました。

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エリザベスの父は「なんてひどい!」と激怒し、ミレイに抗議しました。風邪をひいてしまったエリザベスの治療費をミレイが支払った、というエピソードも残っています。

ちなみに、オフィーリアのドレスの上に浮かぶパンジーの花言葉は「追憶」「報われない愛」を意味します。ハムレットとオフィーリアのあいだの恋心を表現するためにミレイは描いたと思いますが・・・ロセッティとエリザベスの愛のゆくえも描いているようにも見えます。

恋多き画家だったロセッティは浮気が絶えず、本妻であるエリザベスを死に追いやってしまうのです。そうした未来もミレイには見えていたのでしょうか。

ミレイを支えた奥さんは、ラスキンの奥さんだった!?

結成当初は、世間から批評を浴びていたラファエル前派。この批評から彼らを救ったのは、美術評論家のジョン・ラスキンでした。

ラスキンはオックスフォードの美学の教授であり、彼の発言は当時絶大な影響力を持っていました。そんなラスキンは、ラファエル前派に対して「過去にないイギリス発の高貴な流派が誕生した」と高く評価したコメントを残します。

この出会いでラスキンと親交を結んだミレイ。1853年にはスコットランドの景勝地グレンフィンラスの渓谷に、ラスキンとその妻・エフィーの3人で旅行に出かけます。なんとミレイはこの旅行中に、エフィーと恋に落ちてしまいます。

スフマート Sfumart ジョン・エヴァレット・ミレイ 10分でわかるアート 美術用語解説

実はこのとき、エフィーはラスキンとの離婚を考えていたといいます。翌年4月、ラスキンとエフィーは別居。そしてすぐにエフィーは結婚を無効にする裁判を始めました。

裁判では結婚以来、夫婦生活がなかったことが暴露され、さらにはエフィーに対するラスキンの異様な執着心が明るみになってしまい、結局ふたりは、1854年に離婚しました。

ミレイはエフィーの離婚後すぐに再婚し、のちに8人の子どもに恵まれて幸せな結婚生活を送りました。

おわりに

ラファエル前派を代表する画家のひとりであるジョン・エヴァレット・ミレイについて、詳しく紹介しました。

ラファエル前派が解散した1850年代後半以降、ミレイは歴史画や宗教画を中心に、風俗画や肖像画などさまざまなジャンルの作品を描きました。イギリス人画家として富と名誉を得たミレイは、その地位を不動のものにします。

そうした輝かしい実績が目立ちますが、《オフィーリア》のモデルを務めたエリザベスに対しては、作品を描くために長時間水風呂に浸からせていたことや、恩人の奥さんに恋をしてしまうところなど・・・今回ミレイについて深く調べてみると、やはり少し変人? というイメージがありました。

本記事をきっかけに、絵画から見えてくるミレイという人物像にも注目してもらえると嬉しいです。

 

次回は「主要な西洋絵画のモチーフ」について、代表作とあわせて詳しくご紹介します。お楽しみに!

【参考書籍】
・早坂優子『巨匠に教わる 絵画の見かた』株式会社視覚デザイン研究所 1996年
・岡部昌幸 監修『西洋絵画のみかた』成美堂出版 2019年