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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、パリに集まった外国人画家たちのグループ「エコール・ド・パリ」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
「エコール・ド・パリ」とは、1920年代のパリで制作活動をしていたアーティストたちの総称です。
当時のパリはたくさんのギャラリーが並び、大規模な展覧会も毎年数多く開催されており、世界の芸術の中心地とよばれていました。
多くの芸術家の卵が集まるパリ。そのうちの一グループであるエコール・ド・パリの画家たちは、モンマントルやモンパルナスなどの下町に住み、芸術活動に励みました。
現在のパリ18区にあたるモンマントルには多くのカフェがあり、クールベやファン・ゴッホ、ロートレックなど、19世紀末を代表する画家が訪れていたのだそう!また、エコール・ド・パリの画家では、ユトリロやピカソ、ヴラマンクなどが集まりました。
1910年頃の洗濯船 モンマルトル美術館所蔵
こちらは「洗濯船」と呼ばれる芸術家たちが住んだアパートです。古材でつくられたこのアパートは、セーヌ川に停泊している洗濯船に似ているため、こう呼ばれていたのだそうです。
しかし、1970年に起こった火災によってほぼ全焼し、現在はその跡地に建った小さなショーウインドーに「洗濯船」に関する資料が展示されています。
現存する洗濯船のファサード(資料展示ショーウィンドー)
20世紀に入ると、モンマントルに住んでいた芸術家たちは、セーヌ川左岸のモンパルナスへ移っていきました。
モンパルナスには、1900年のパリ万博の展示館のひとつであった「ぶどう酒館」を移築した貸アトリエ「蜂の巣(ラ・リュシュ)」があり、移住した画家たちはこのアトリエを活動拠点にしていたといいます。
貸アトリエ「蜂の巣(ラ・リュシュ)」
スペイン人のピカソやイタリア人のモディリアーニ、ユダヤ系ポーランド人のキスリングのほか、藤田嗣治など、モンパルナスに集まっていた画家たちの多くは外国人でした。中でも、ロシアから移ってきた人が多く、当時はロシア料理の店もたくさんあったといいます。
モンマントルやモンパルナスに住んだ「エコール・ド・パリ」の画家たちは、フォービスムやキュビスムなど新しい美術の影響を受けながらも、特定の主義を持つグループに属すことはありませんでした。
また、二度の世界大戦真っ只中の時代を過ごした彼らは、アルコール中毒などで荒れた生活を送る人が多かったのも特徴とされています。
重度のアルコール依存症で知られる画家、モーリス・ユトリロ(1883-1955)。画家になったきっかけは、アルコール依存症の治療でした。
パリのサン・タンヌ病院へ入院し、そこで治療のために絵を描くようになります。正式な絵の教育は受けたことがないユトリロでしたが、その時描かれた《コタン小路》や《サン・ピエール協会とサンク・レール》など、白を基調とした絵が高く評価されました。
ちなみにユトリロは絵を描く時は馴染みの酒場に絵ハガキを持って行き、隅のカウンターでそのハガキを見ながら描いたていたのだそう!ノスタルジックな白い建物が並ぶ風景画は、アルコールに蝕まれ、荒廃していた内面を描き出したものなのかもしれません。
※もっとモーリス・ユトリロについて知りたい方はこちら
モイズ・キスリング(1891-1953)は、「アーモンドアイ」の女性像を描く画家で知られています。
激動の時代を生きたエコール・ド・パリの画家たちは、その不安感から荒れた生活をする人が多かったのだそう。しかし、キスリングは比較的穏やかな人生を歩みました。また人柄も大変良く交友関係も広いことで有名です。
モイズ・キスリング《花》1929年 油彩、カンヴァス
ユダヤ系ポーランド人であるキスリング。1914年に勃発した第一次世界大戦では、パリの外人部隊に入隊志願します。
しかし、志願の翌年にカランシーの戦闘で負傷すると退役し、1917年に憲兵隊司令官の娘であるルネ・グロと結婚。その後は、個展で成功するなどで順風満帆な人生を送りました。
スイス・ジュネーブのプチ・パレ美術館に、キスリングの世界最大のコレクションがあります。
フランスの女流画家であるマリー・ローランサン(1883-1956)。モンマントルの「洗濯船」でピカソやブラックたちと交流しながらも、彼らのキュビスムには染まらずに独自のバラ色と青、灰色を基調とした女性像を描き続けました。
マリー・ローランサン《ブリジット・スールデルの肖像》1923年頃 ちひろ美術館蔵(2022年5月20日撮影)
日本でも人気の高いローランサンの作品は、絵本作家のいわさきちひろにとっても、あこがれの存在だったといいます。戦災により焼けてしまったちひろの中野の自宅には、ローランサンの複製画が飾られていたのだそう。またちひろ美術館は、ローランサンの作品を所蔵しています。
ここで紹介した画家以外にも、エコール・ド・パリと呼ばれる画家は多くいます。気になる方はぜひ、調べてみてくださいね。
地域性と国際性を併せ持つ総合的近代美術館の構想のもと、1977年7月、札幌市の中心部にオープンした北海道立近代美術館。「国際性」の実現に向け、同館では開館前後から、海外のガラスやヨーロッパ版画、そしてエコール・ド・パリの収集に力をいれていました。
現在同館では、306点の「エコール・ド・パリ」の作品が収蔵されています(2021年3月現在)。
名古屋市美術館は、名古屋市中区白川公園内に1988年に開館しました。同館の設計は、国立新美術館の設計者としても知られる建築家・黒川紀章です。
同館は、20世紀エコール・ド・パリの作品に関しては、国内有数の所蔵品を誇ります。
エコール・ド・パリの画家を収蔵する国内の美術館は、このほかにも各地にあります。お出かけの際に参考になれば嬉しいです◎
20世紀前半、各国からのモンマントルやモンパルナスに集まった若き画家たちのグループ「エコール・ド・パリ」について、ご紹介しました。
日本国内でも人気の高い「エコール・ド・パリ」の画家たちは、展覧会が開催されると話題になります。ここで興味を持っていただいたら、ぜひ彼らの作品を所蔵する美術館などを調べて現物を観てもらえると嬉しいです◎
さて、次回は「モンパルナスの帝王」と呼ばれた画家「モイズ・キスリング」についてご紹介します。お楽しみに。
【参考書籍】
・早坂優子『101人の画家 生きてることが101倍楽しくなる』株式会社視覚デザイン研究所 2009年
・朝日新聞社編『朝日美術鑑賞講座10 名画の見どころ読みどころ 20世紀 現代絵画②』朝日新聞社 1992年
・早坂優子『巨匠に教わる 絵画の見かた』株式会社視覚デザイン研究所 1996年
・早坂優子『鑑賞のための 西洋美術史入門』株式会社視覚デザイン研究所 2006年