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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、20世紀初頭フランスで起きた「フォーヴィスム(野獣派)」ついて詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
フォーヴィスムとは、20世紀のはじめにフランスで起こった絵画運動です。
1905年、パリでは1600点以上の数ある作品が展示された「秋のサロン」が開催されました。
数ある展示室の一つ、第7室にはマティス、ルオー、マルケ、アンドレ・ドラン、ヴァン・ドンゲンなどの画家たちの作品が展示。
展示室の中央にこどもの像があり、その像を囲むように作品が展示されていたのですが、それらの作品はどれも大胆な筆使いと強い色彩の強い作品ばかりでした。
そのようすを批評家が「まるで野獣の檻に入れられているような状態」と表現し、第7室の作品は「フォーヴィスム」と名付けられました。
ちなみに「フォーヴ」はフランス語で「野獣」を意味し、日本では「野獣派」や「野獣主義」とも言われています。
フォーヴィズム作品最大の特徴は、大胆な色彩表現です。
色彩を感情や感覚の表現方法の一つとしてとらえることは、ポスト印象派のゴッホやゴーガンの絵画からも見られ、ポスト印象派の影響を受けながらフォーヴィズムは発展していきました。
しかし、フォーヴィスムは決められた理論や概念はなく、活動らしい活動もほとんどありませんでした。
そのため、メインの活動期間は1905年から1908年の3年間のみ。
次第にメンバーはフォーヴィスムから離れていき、それぞれの表現を追求し始めます。
フォーヴィスムのリーダー的立ち位置にいたマティスは線の単純化と色彩の追求し、切り紙絵にたどり着きました。
また、フォーヴィズムで活躍したひとりのジョルジュ・ブラック (1882-1963)は、マティスの影響を受け野獣派として制作したのち、キュビスムへと作品を発展させます。
後にパブロ・ピカソ (1881-1973)と共にキュビスムの創始者となりました。
単純化された形態に強烈な色彩、大胆なタッチが特徴のフォーヴィスムの作家を紹介します。
アンリ・マティス(1869-1954)はフランス北部の出身です。
父親の希望に沿って法律家を目指していましたが、中耳炎を患い、入院した際の暇つぶしとして絵を描き始めます。
ギュスターヴ・モロー(1826-1898)から個人指導を受け、のちにマティスはフォーヴィスムのリーダー的存在となっていきました。
アンリ・マティス《ダンスⅡ》 1909年-1910年 油彩 エルミタージュ美術館
本作はロシアの富豪、セルゲイ・シチューキンよりマンションの階段を飾るため注文され、描かれた作品。
画面から出てきそうな人体が描かれた構図は大胆な描き方をするマティスらしい表現となっています。
アンリ・マティスについて詳しく知りたい方はこちら▼
ラウル・デュフィ (1877-1953)はフランス出身の音楽好きの一家に生まれます。
18歳のときにル・アーヴル市立美術学校へ通い、のちに「色彩の魔術師」と呼ばれるまでになりました。
音楽や海のモチーフが多く、絵画以外にも本の挿絵や舞台美術なども手掛けています。
ラウル・デュフィ《モーツァルト》 1943年 油彩 国立西洋美術館
デュフィは数々音楽にまつわるアートを残していますが、本作はモーツアルトに関連する作品です。
ピアノ側から画面が描かれ、モーツアルトが座っている位置から見える風景が描かれています。
本作は国立西洋美術館に所蔵されています。
ポスト印象派から影響を受け発展していったフォーヴィスム。
活動期間は短かったものの、フォーヴィスムで得たことがのちの美術業界へ影響を与えていきました。
それぞれの作家の大胆な色彩表現を是非実物を観ていただけたらと思います!
【参考書籍】
・池上英洋『いちばん親切な西洋美術史』株式会社新星出版社 2016年
・トキオ・ナレッジ『大人の西洋美術常識』株式会社宝島社 2016年