阪神・淡路大震災30年 企画展 1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち/兵庫県立美術館

30年で変わった神戸と変わらない神戸を考える【兵庫県立美術館】

2025年1月7日

阪神・淡路大震災30年 企画展 1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち/兵庫県立美術館

兵庫県立美術館で、「阪神・淡路大震災30年 企画展 1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」が開催中です。

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、兵庫県立美術館の前身である兵庫県立近代美術館も、大きな被害を受けました。

その後、2002年に復興の文化的シンボルとして、兵庫県立美術館が開館します。

震災の節目の年には必ず、震災に関連した展示をしてきた同館。
今年は震災後30年ということで、特別展会場で初めて自主企画展が催されることになりました。

1995年から30年。世界は大きく変わりました。

日本では東日本大震災や、能登半島地震をはじめとして、全国各地で様々な災害が発生。
また世界では、アメリカ同時多発テロや、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルとハマスの武力衝突など信じられないような出来事も起こりました。

そんな30年間を振り返り、これからの困難な時代にどのような希望を見い出していったらいいのか、その答えを探すための企画展にもなっているといいます。

6組7名のグループコラボ展覧会

今回の展覧会は、國府理、束芋、田村友一郎、森山未来・梅田哲也、やなぎみわ、米田知子という6組7名の作家が、それぞれの作品を展示するというグループコラボ展覧会となっています。

國府理の展示風景

私たち一人ひとりにそれぞれ、1995年からの30年間があったように、作家たちにもそれぞれ違う30年という月日がありました。

7名の違った30年という月日を表すかのように、それぞれの展示会場では、個性豊かな展示を見ることができました。

束芋 「神戸の学校」 2024年

そんな個性豊かな展示の中から、いくつかご紹介していきたいと思います。

当時の神戸、10年後の神戸、30年後の神戸

米田知子のコーナーでは、震災当時の神戸を写し取った白黒写真と、10年後の神戸のようすと30年後の今の神戸を撮影したカラー写真が、それぞれ展示されています。

震災の悲しみを表すかのような白黒写真には、倒壊した建物や、がれきとなった町にポツンと備えられている花、バラバラに落ちた引き出しとクスリ、大きく傾いた市役所などの写真が、ポツンポツンと展示されています。

記録のつもりで撮影したというこれらの震災当時の写真は、やはり見ていると胸に迫るものがありました。

そんな神戸が10年後には、被害などなかったかのような綺麗な町となっています。

内覧会で米田は震災当時、遺体仮安置所であった教室の写真を指し、「この教室には震災当時、泣いている親子などがいた」ことを話してくれました。

(手前)米田知子 教室Ⅰ‐遺体仮安置所をへて、震災資料室として使われていた 2024年

震災から10年後の写真では、遺体仮安置所であった教室に、穏やかな光が差していました。

「まるで悲劇などなかったかのように見えるけれど、それでもこの教室には確かに泣いている親子がいたということを感じてほしい」と米田は言います。
その話を聞いてこの写真を見ると、穏やかな明るさの裏にある悲しみが見えてくるようでした。

30年後の神戸のコーナーには、震災当時に生まれた人たちの写真が飾られていました。

すでに立派に母として成長した方の姿や、僧侶として活躍している人の写真を見ていると、30年という月日は、人をこんなにも立派に成長させるほど長い月日だったのかとひしひしと実感させられました。

森山未來+梅田哲也のコラボレーション展示

今回の展覧会には、兵庫県出身の俳優でダンサーの森山未來も、梅田哲也と共同の作品を出品しています。

(右)梅田哲也、(左)森山未來

特別展では、《浮漂(ブイ)》が展示されています。といっても、森山と梅田のコーナーには、ポツンと黒電話が置いてあるだけ。

どう考えたらよいかわからない展示にポカンとしてしまいますが、梅田は「出口から出たところに伸びている廊下や、廊下の窓からの風景も含めて展示作品」なのだと言います。

その言葉を聞いて出口へ出てみると、長い廊下の窓の外に広がっているのは神戸の港と町の景色でした。

震災後30年たった神戸の街並みと港の景色に思わずハッと足を止めて見入ってしまいます。

神戸出身の私の母によれば、阪神・淡路大震災後から神戸の町は、昔と全く変わったといいます。30年という月日が経てば、街並みだって、そこに住む住人だって変わっていくのが当たり前です。

でも、きっと、神戸の海はキレイだという思い、山と海が近い神戸の町が好きだという思いは、30年という月日がたっても変わらないものなのじゃないかなと感じました。
これから30年たってもきっと、神戸が好きだという人の思いはきっと変わらないでしょう。

森山未來と梅田哲也は、特別展と同時開催されている「チャンネル15」という展覧会にも《艀(はしけ)》という作品を展示しています。

《浮漂(ブイ)》と、《艀(はしけ)》は連動した1つの作品となっていますので、合わせて観ることをオススメします。

福島の果樹園の桃

やなぎみわの展示会場には、闇の中に浮かぶ妖艶な桃の写真の数々が飾られています。

これらの桃は、東日本大震災が発生した数年後に、やなぎみわが出会った福島のスモモの果樹園の写真なのだそう。

作家本人の果樹園で、毎年、こうして夜の果樹園でスモモを撮影していると言います。

原発事故が起こる前から、福島にはスモモが実っていたことでしょう。
そして、原発事故という信じられない恐ろしい事故が起こった後も変わらず、スモモはこうして実るのです。

災害が起こって変わるものと、変わらないものがある。そのことをここでも、強く感じました。

まとめ

私は、阪神・淡路大震災が発生した当時、神戸に住んでいませんでしたし、幼稚園生でした。なので、震災の記憶はほとんどありません。

ですが、神戸という町に阪神・淡路大震災という大きな災害が確かにあったのだということ。
それでも、この町はよみがえってきたのだということ。
震災という過去があるからこその今の神戸の町なのだということを、あらためて感じた展覧会となりました。

皆さんもぜひ、神戸を訪れた際には、兵庫県立美術館に足を運んでみて下さい。

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