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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
デビュー50周年記念 くらもちふさこ展/弥生美術館
スフマートでは、「つくる」「つたえる」という2つの視点をもとに、ミュージアムを支えるさまざまな人へのインタビューを隔週・前後編でお届けします。
東京は根津、東京大学や上野公園にもほど近い文教エリアに、弥生美術館・竹久夢二美術館があります。
竹久夢二美術館では、大正ロマンを象徴する画家・竹久夢二の多彩な作品をさまざまな角度から紹介。弥生美術館には、大正から昭和初期の少年少女に人気を博した挿絵画家・高畠華宵(たかばたけ かしょう)の作品が展示されているほか、明治・大正・昭和の出版美術にスポットをあてたユニークな企画展も開催されています。
弥生美術館・外舘惠子学芸員 ※撮影時、マスクを外していただきました。
今回お話をお聞きしたのは、弥生美術館の外舘惠子学芸員です。
前編では、出版美術の収集や展示についてインタビュー。反響を呼んだ雑誌ふろく展や少女漫画展がつくられるまでのお話もうかがいました。
──はじめに、弥生美術館・竹久夢二美術館が設立された経緯や、コレクションの特徴についてお聞かせください。
弥生美術館のメインの収蔵画家でもある高畠華宵と、当館の初代理事長・鹿野琢見(かの たくみ)に親交がありまして、創設につながったという経緯があります。
少年時代の鹿野は、『日本少年』という雑誌に掲載されていた『さらば故郷』という口絵に心震わせまして・・・。立身出世のために故郷を離れていく男の子の絵に、大人になってからもずっと心を残していました。あるとき、華宵先生が愛媛の愛老園にいらっしゃるのを雑誌の記事で見つけて、お手紙をお送りしたことがきっかけで交流がはじまりました。
華宵が鹿野をモデルに描いた『新さらば故郷』は、弥生美術館を代表する作品でもあります。
高畠華宵《新さらば故郷》1965年
弥生美術館が昭和59年に開館し、竹久夢二美術館はその後、平成2年に開館しています。当初は夢二の作品も弥生美術館の収蔵品の中に組みこまれていたのですが、夢二の作品は人気も高かったため、独立して竹久夢二美術館をオープンすることになりました。
そのほか、『少年倶楽部』という雑誌で活躍していた椛島勝一や伊藤彦造、少女雑誌で活躍していた蕗谷虹児(ふきや こうじ)や中原淳一など、明治・大正・昭和の雑誌で活躍した挿絵画家の作品を中心に収蔵しています。
──原画だけではなく、挿絵が掲載されていた雑誌やふろくも展示されていますが、そういったものも収集されているのでしょうか。
はい。原画にはあまりこだわらず、当時の雑誌に挟みこまれていた口絵のような印刷絵も、作品として展示しています。
時代が流れるにつれて、出版美術や雑誌文化も変わってきますよね。弥生美術館ではテーマも幅広く捉えていて、近年だと“漫画”を取り上げたり、漫画雑誌のバックナンバーや、雑誌文化から生まれた“ふろく”の収集や展示もしています。
──昔の雑誌ふろくは入手するのが難しそうです。どのように収集されているのでしょうか。
平成7年に初めてふろく展を開催したのを機に、寄贈していただいたものが多いです。
『少女の友』などを愛読されていた方がご高齢になって、「ずっと中原淳一のふろくを大切に持っていたんだけど、寄贈したい」と言ってくださることもありました。
近年のものは、フリマアプリで入手することもあります。戦前のものから、ふろく文化の流れを通覧できるくらい収蔵していますので、ふろく展は定期的に開催しています。
──子どものころに親しんできたはずの雑誌やふろくって、時が経つと意外と残っていなかったりしますよね。
ふろくは、国会図書館でも保存されていないので、各出版社などが自主的に保存しています。本誌は比較的残りやすいのですが、ふろくは散逸していることが多いです。
また、ふろくは紙ものであることが多いので、組み立てて遊んでいるうちに無くなったり・・・。特に男の子は遊びが激しいので、ふろくも残りにくかったりします。
──今と昔のふろくの変化などもあれば教えてください。
ふろくは2000年頃まで「ふろくは紙もの」というルールがありました。
少年雑誌のふろくは、つくられた時代の社会情勢をものすごく反映していますね。戦前は、軍艦やガスマスクのふろくなどもありました。また、昭和初期にロボットブームがあり、「人造人間」や「ロボット」を謳ったふろくもあります。戦後になると少年の興味も変わっていって、「立体テレビジョン」のような電化製品や、望遠鏡もふろくになっているんです。
一方で、少女雑誌のふろくは2000年頃までそれほど大きく変化していません。昔は今よりもっと手紙などを書く機会が多かったので、栞やポストカード、レターセットのようなステーショナリーが多いです。
身近な存在だったふろくを並べてみると、「こんな歴史があるのか!」ということがわかって面白いですよ。
──ふろく展や少女漫画展など、魅力的な企画展のテーマはどのように決められているのでしょうか。
出版美術という当館の収集・展示方針をふまえながら、少女文化や女学生、ファッションや着物、小説や挿絵など、それぞれの得意分野を持つ学芸員がミーティングで案を出して、企画が通れば開催が決まります。
企画が通ったら、出版社経由でつないでいただいたり、先生や関係者の方に直接お願いしたりします。漫画展のときは、編集部にご協力いただくことも多いです。
当館では巡回展は開催しておらず、独自で企画した展示を行っています。
──外舘さんは、少女漫画展を担当してこられたとのこと。もともと少女漫画を専門に研究していたのでしょうか。
それが、弥生美術館に入った当初は、漫画の展示をさせていただけるとは思っていなくて・・・。
大学で専攻していたのは日本美術です。竹久夢二を中心に、近代の画家について研究していました。当館の学芸員になり、最初は「ふろくのミリョク★展」、2回目は椛島勝一という少年物の挿絵画家の展示を担当しています。
少女漫画の展示をやってみたいと思ったのは、ふろく展を担当したことが大きかったですね。小さなころから漫画を読んで育ちましたが、『りぼん』や『なかよし』のふろくも大好きで、机の上がふろくでいっぱいの子どもでした。
学芸員としてふろく展を担当することになり、『りぼん』などいろいろな雑誌のふろくを見ていくなかで、特に1970年代の少女雑誌のふろくの多様さと現代に通じるセンスの良さに驚かされました。
私が最初に担当した少女漫画の展示は、「陸奥A子×少女ふろく展」なんです。これは、「ふろくのミリョク★展」で陸奥A子先生の絵って可愛いな、当館で展示ができないかなと思ったことがきっかけで開催につながりました。
2015年に開催された「陸奥A子×少女ふろく展 ~DOKIDOKI『りぼん』おとめチック❤ワールド!~」
少女漫画の展示はそれ以前にも、牧美也子先生・水野英子先生・わたなべまさこ先生の三人展などを開催していたのですが、少しブランクが空いていました。陸奥A子先生で久しぶりに開催したところ、反響がとても大きかったんです。漫画展をきっかけに来館される方も多かったです。
以降、漫画展もコンスタントにやっていくようになりました。
──開催予定の「デビュー50周年記念 くらもちふさこ展」もすごく楽しみです!
ありがとうございます。くらもち先生の原画、すごく美しいんです!
くらもちふさこ展チラシ
漫画の本文のモノクロ原画もたくさんありますから、どのページをピックアップしようか悩ましくて。
展示の準備と並行して画集も編集しているのですが、「どれを取り上げたらいいの!?載せられないのももったいない!」とメンバー全員で迷いながらすすめております(笑)。
併設されている「夢二カフェ 港や」では、期間限定のコラボドリンクもご用意していますので、あわせて立ち寄っていただけると嬉しいです。
※展覧会情報はこちら
今では滅多に目にすることのできなくなった昔のふろくや雑誌の口絵を、今一度見てみたいという方も多いのではないでしょうか?
ユニークなふろくのコレクションや歴史の移り変わりについて、「へえ!」と感嘆の声をあげながら伺いました。
少女漫画展がコンスタントに開催される契機にもなった「陸奥A子展×少女ふろく」は、昔のふろくから着想を得て企画されたという流れも意外でした。
後編では、保存用につくられていない資料を扱う美術館ならではのお話や、デジタル化が進む漫画原画の展示の現状と展望についてうかがいました。
どうぞお楽しみに!