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2024年11月1日
信じるココロ ―信仰・迷信・噂話/太田記念美術館
さまざまな民間信仰が庶民のあいだで親しまれた江戸時代。大寺院から町中の稲荷社まで、江戸市中にある寺社では毎月のように縁日が行われ、多くの人びとで賑わっていました。
そうした庶民の関心は江戸市中だけではなく、江ノ島の弁財天のほか、富士山から伊勢神宮まで、信仰だけではなく行楽も兼ねて江戸の外へと広がっていきます。
太田記念美術館では現在、「信じる」をキーワードにさまざまな浮世絵を紹介する展覧会が開催中です。
展示風景より
本展では、鯰(なまず)が地震を起こすという迷信に基づいた「鯰絵」や、移ろいやすい江戸庶民の信仰を象徴する流行神(はやりがみ)など展示。現代のSNSのように人びとに伝え、拡散する役割を持っていた浮世絵を、ユニークな視点から鑑賞できます。
※展覧会詳細はこちら
流行神とは、突発的に信仰されて急速に忘れられる神仏のことです。
日本では、7世紀ごろに現れた常世神(とこよのかみ*)などの流行神の存在が確認されています。そして、江戸時代にもさまざまな流行神が人気を呼びました。
*常世神:人びとが富と長寿をもたらすと信じた神のこと。
歌川国芳「奪衣婆の願掛け」嘉永2年(1849)太田記念美術館蔵
「奪衣婆の願掛け」は、内藤新宿正受院の奪衣婆(だつえば)像を題材とした作品です。
奪衣婆とは、三途の川のほとりで亡者の衣服をはぎ取る老女の鬼のこと。江戸時代末期には、民間信仰の対象となって親しまれていました。
画面下の人びとに注目。吹き出しのようなものが、黄色い着物を着ている奪衣婆のもとまで伸びていますね。
吹き出しの言葉を見てみると、「背が高くなりたい」や「すてきな人と結婚したい」などの好き勝手な願い事ばかり。これには奪衣婆も、呆れたような表情をしています。
(左から)関斎「列婦於竹の伝」嘉永2年(1849)/歌川国芳「於竹如来」嘉永2年(1849)いずれも、個人蔵
江戸時代には正受院の奪衣婆のほかに、お竹如来や日本橋の翁稲荷(おきないなり)という3つの流行神が、数多くの浮世絵に描かれました。
歌川芳虎「諸病諸薬の戦ひの図」弘化4年~嘉永3(1847~1850)頃 太田記念美術館蔵
武士の姿に擬人化した薬たちと、妖怪の姿をした病気たちの戦いを描いたユニークな本作。画面右の薬軍の指揮をとっているのは、神農(しんのう)です。神農とは中国の農業神で、日本では医者や商人の信仰の対象となっていました。
画面左に描かれている病気軍には、流行り風邪やめまいなどの有名な病の症状に加えて、泣き虫など病気とは言いづらいものも描かれています。
歌川芳虎「諸病諸薬の戦ひの図」(部分)弘化4年~嘉永3(1847~1850)頃 太田記念美術館蔵
薬軍の方をアップしてよく見てみると、カタカナで「ウルユス」と書かれた旗があります。
こちらは、日本で初めて西洋風の名前が付けられた薬なのだそう! 「ウルユス」という名前なので、咳止めのような気もしますが、胃薬だそうです。
安政2年(1855)10月2日、江戸に発生した安政の大地震。震源地は荒川河口付近で、規模はマグニチュード6.9と推定される直下地震でした。
この大地震が発生したあと、地震は鯰が動くことによって起きるという伝承をもとにした「鯰絵」が数多く出版されます。
作者不詳「大都会無事」安政2年(1855) 太田記念美術館蔵
鯰を封印するための要石を、なんと鯰自身がひょいと持ち上げてしまうというユニークなこちらの作品。当時、災厄を象徴する鯰をこのようにユーモアたっぷりに描いた鯰絵は、人気を博したといいます。
現代のSNSのように、江戸市内で起きたさまざまなニュースを伝える浮世絵を紹介する本展。
流行病や大地震、迷信などを笑いに変えて楽しんでしまう江戸時代の人びとの考え方に、触れてみてはいかがでしょうか。