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2024年11月1日
特別展 明治美術狂想曲/静嘉堂@丸の内(静嘉堂文庫美術館)
美術館、美術品、学校の美術の時間・・・「美術」は日常生活で当たり前に見かける言葉です。そんな「美術」という単語が産声を上げたのは約150年前、明治時代のことでした。
西洋から油画や彫刻といった技術が国内に流入する一方、廃仏毀釈令によって古来の仏教美術の多くが破壊されてしまうなど、「美術」へのまなざしが目まぐるしく変わる時期です。
2023年4月8日から開幕した静嘉堂文庫美術館「明治美術狂想曲」は、そんな激動の時代である明治時代の美術に焦点を当てた展覧会です。
エントランス展示風景
展覧会の最初に出会うのは、幕末から明治時代にかけて活躍した絵師たちの作品。中でも、河鍋暁斎が描いた「地獄極楽めぐり図」は鮮やかな色彩で描き出される、どこかひょうきんな鬼や天女たちの様子に思わず見入ってしまいます。
河鍋暁斎「地獄極楽めぐり図」(明治 2~5 年[1869-72]、紙本着色)
この作品は、商家の娘が14歳で亡くなった折、父親が追善供養のために河鍋暁斎に制作を依頼したものです。娘が阿弥陀三尊に導かれて三途の川を渡り、地獄を眺め・・・といった道中が描かれていますが、極楽に近づくと、なんと疾走する汽車が。
河鍋暁斎「地獄極楽めぐり図」のうち「極楽行きの汽車」(明治 2~5 年[1869-72]、紙本着色)
この場面が描かれた明治5年[1872]は、すでに品川―横浜間の列車運行が開始されていました。江戸の狩野派絵画の技術を受け継ぎつつも当時の最新技術が飛び出してくる、楽しい作品です。
第2展示室では、欧米のジャポニズムブームの需要に応えて作られた精巧な作品群が紹介されています。明治時代には欧米好みの華美な陶磁器が作られた一方、奈良~鎌倉時代の古美術を観察し、その魅力を自分の作品にも取り込もうと取り組んだ工芸家が数多くいました。
例えば、こちらの灯篭や鉢を持つ3体の鬼たち。
海野勝珉「天燈鬼・鉄鉢鬼・龍燈鬼」(明治34年[1901]、金工(鋳造))
「左右は何となく見覚えがある・・・」という方も多いのではないでしょうか。実は彼らは、彫金家・海野勝珉による、鎌倉時代に作られた奈良・興福寺の木造天燈鬼・龍燈鬼のミニチュア再現版です。真ん中に座り込んでいる鬼は、海野オリジナルの「鉄鉢鬼」。ややふてくされたような表情がユーモラスで、いかにも先輩2人に付き従う後輩といった趣です。
第2展示室には、静嘉堂文庫美術館のアイコン的収蔵品でもある、国宝「曜変天目(稲葉天目)」( 南宋時代(12~13 世紀))も展示されています。光彩が美しいこの作品は、 明治 13 年(1880)、古美術を再評価すべく開催された第1回観古美術会にも出品されました。
国宝「曜変天目(稲葉天目)」( 南宋時代[12~13 世紀]、施釉陶器)
第3展示室には、当時貴重な作品発表の場であった博覧会に出品された作品や、政府が美術の保護・奨励を目的に設置した役職、帝室技芸員に任命された作家の作品が並びます。
第3展示室展示風景
漆芸分野で帝室技芸員となった柴田是真「柳流水蒔絵重箱」 (江戸~明治時代[19 世紀]、漆芸)は、江戸時代に途絶えたものの是真自ら復活させた「青海波塗」という技法を用いた作品です。5段の重箱に、各段の色を変えつつ漆で川と岸辺の情景を描いたもので、この川の波模様に青海波塗が用いられています。
柴田是真「柳流水蒔絵重箱」 (江戸~明治時代[19 世紀]、漆芸)(部分)
青海波塗は、絞漆(漆に生麩などを混ぜて粘りを増したもの)を塗り、先端が櫛のようになった刷毛でなぞって波の模様を表現する技法で、江戸時代前期に流行後絶えてしまいましたが、是真が弘化年間(1844~1848)に復興させました。作品を近くで見ると、迷いのなく、非常に細い線描の連続が脈々と川の流れを表現しているのが分かります。
是真は漆で様々な質感を再現する変塗を得意とした作家で、本展でも漆で木目を再現してみたり、青銅の肌を表現してみたり・・・と遊び心にあふれた「変塗絵替丼蓋」が出品されています。漆という樹液でここまで色々できるのか、という世界を垣間見せてくれるので、ぜひじっくりご覧ください。
柴田是真「変塗絵替丼蓋」(明治6年[1873]、漆芸(鉢は江戸時代の磁器))
また、京都で明治28年[1895]に開催された第4回内国勧業博覧会で話題をさらった、橋本雅邦「龍虎図屛風」も本展示の見どころのひとつです。龍と虎が相対するダイナミックな構図と、砕ける波頭や岩に跳ね返る雨の水滴といった細かな描写による緊張した空気感が印象的でした。
橋本雅邦「龍虎図屛風」(明治 28 年[1895]、絹本着色)
最後の第4展示室には、静嘉堂設立者・三菱第二代社長の岩﨑彌之助(1851~1908)の邸宅に飾られた作品が展示されています。
中でも、ビリヤード室に飾られていたという黒田清輝「裸体婦人像」(明治 34 年[1901]、キャンバス、油彩)は、発表当時「裸体画論争」を巻き起こした話題作でした。
展示風景より、黒田清輝「裸体婦人像」(明治 34 年[1901]、キャンバス、油彩)
裸体画論争とは、明治20~30年代にかけて、西洋画では理想美とされる「裸体画(ヌード)」を公共の場で展示する可否を巡って繰り広げられた論争です。当時の警察は「裸体画の展示は風紀を乱す」と見なしたため、「裸体婦人像」は腰の部分を布で覆った状態で展示されました。この事件は明治美術史に残る「腰巻事件」として知られています。
実は「裸体婦人像」を表紙にデザインした本展図録にも、秀逸な仕掛けが施されています。
表紙の3分の1以上を覆う「腰巻事件かくありき!!」の帯は、腰巻事件の「腰巻」をイメージしてデザインされました。
当時の展示風景はモノクロ写真しか残っていないそうですが、写真を分析して「恐らく紫だろう」ということで帯の色を決めたとのこと。愛と執念を感じる装丁デザインです。
「明治美術狂想曲」は、明治時代の美術を取り巻く激動の様子を味わえる展覧会でした。近代絵画や超絶技巧の工芸品に興味がある方は、ぜひ訪れてみてください。