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2024年11月1日
開創1150年記念 醍醐寺 国宝展/大阪中之島美術館
《理源大師坐像 吉野右京種久作》一軀 江戸時代 延宝2年(1674) 木造・彩色 醍醐寺 [通期展示]
空海像に倣って右手に五鈷杵をとり、左手で袈裟の衣端を持つ姿で伝えられています。
『開創1150年記念 醍醐寺 国宝展』が、大阪中之島美術館で好評開催中です。
応仁の乱で荒廃した醍醐寺の復興を支援した豊臣秀吉ゆかりの大阪で開催される本展では、国宝14件、重要文化財47件を含む約90件が前後期で展示されます。
醍醐寺(だいごじ)は、貞観16年(874)理源大師聖宝(りげんたいししょうぼう)によって開かれました。
聖宝は、笠取山(醍醐山)山中で出会った老翁(地主神)に導かれて、上醍醐に伽藍(がらん:僧侶が修行をする場)を広めていきます。この時に老翁が、山中の湧水を飲んで「醍醐味かな」と言ったことが寺名となりました。
その後、醍醐寺は醍醐天皇によって建てられ、天皇の庇護のもと上醍醐に薬師堂や五大堂が建立されました。
展示風景 左から:重要文化財《大威徳明王像(上醍醐五大堂五大明王像のうち)》一軀 平安時代(10世紀) 木造・彩色 醍醐寺 [通期展示]/重要文化財《吉祥天立像》一軀 平安時代(12世紀) 木造・彩色 醍醐寺 [通期展示]/重要文化財《線刻阿弥陀五尊鏡像》一面 平安時代(12世紀) 銅製・鋳造・線刻 醍醐寺 [通期展示]
延長4年(926)には、下醍醐に釈迦堂が、天暦5年(951)には五重塔が建立され、二つの伽藍からなる大伽藍となりました。
室町時代末には火災により、下醍醐は五重塔を残して燃えてしまいましたが、上醍醐には火が回ることなく、守られました。
重要文化財《大威徳明王像(上醍醐五大堂五大明王像のうち)》一軀 平安時代(10世紀) 木造・彩色 醍醐寺 [通期展示]
重要文化財《大威徳明王像》創建当時の像で、五大堂は何度も災害を受けながらも唯一奇跡的に残った像です。
6本の足を持つ像は珍しく、体はムキムキでなく意外にももち肌で、静かななかに怒りを秘めた像です。
国宝(現在は保存管理のため霊宝館にあるため)薬師如来の参考パネル
平安時代前期の量感ある薬師如来像の光背の化仏、間近で拝見する小さな化仏はまるまると愛らしいです。
国宝《薬師如来光背小七仏薬師像》四軀 平安時代(10世紀) 木造・漆箔 醍醐寺 [通期展示]
艶めかしくも優美な重要文化財《如意輪観音坐像》もじっくりご覧ください。
重要文化財《如意輪観音坐像》一軀 平安時代(10世紀) 木造・漆箔 醍醐寺 [通期展示]
重要文化財《吉祥天立像》一軀 平安時代(12世紀) 木造・彩色 醍醐寺 [通期展示]
重要文化財《帝釈天騎象像》一軀 平安時代(10世紀) 木造・彩色 醍醐寺 [通期展示]
重要文化財《閻魔天騎牛像》一軀 平安時代(12世紀) 木造・彩色 醍醐寺 [通期展示] 後鳥羽天皇の皇后・待賢門院の御仏と記されています。
醍醐寺は、加持・祈祷の作法である密教修法(すほう)の研究センターとしての役割を果たしてきました。
さまざまな流派の文書が集積され、「醍醐寺文書修法」として7万点が国宝に指定されています。
重要文化財《不動明王坐像 快慶作》一軀 鎌倉時代 建仁3年(1203) 木造・彩色・截金 醍醐寺 [通期展示]
集積された図像を手本として修法用の絵画が描かれました。
左から:重要文化財《金剛童子図像 信海筆》一幅 鎌倉時代 弘安3年(1280) 紙本墨画 醍醐寺[前期展示]/重要文化財《不動明王図像 長賀筆》一幅 鎌倉時代(13世紀) 紙本墨画 醍醐寺[前期展示]
「渡海」形式の文殊菩薩図像は日本でしか見られないそうです。細部まで描き込まれて美しい一幅です。
左から:《孔雀明王像》一幅 鎌倉時代(13~14世紀) 絹本着色 醍醐寺[前期展示]/国宝《文殊渡海図》一幅 鎌倉時代(13世紀) 絹本着色 醍醐寺[前期展示]
《金銅転法輪筒》一口 鎌倉時代(13世紀) 銅製・鍛造・鍍金 醍醐寺 [通期展示] 怨敵の姿や名を記した紙を筒の中に入れて修法の壇上に置いた。
重要文化財《金銅九鈷杵及び宝龕》一具 中国・宋~元(12~13世紀) 杵:銅製・鍍金・鍍金、宝龕:木胎 革張 獣毛 絹 漆塗 醍醐寺[通期展示] 「宝龕」はピッタリサイズの中国製の収納ケースです。
「大壇」は、密教の修法を行う場で、仏様が降臨すると考えられています。
《大壇具》一具 大壇、礼盤、脇机:江戸時代(17世紀)、磬架:江戸時代 慶長8年(1603)、宝塔:江戸時代 慶長9年(1604)、組法具(五鈷杵・五鈷鈴・金剛盤): 江戸時代 元禄10年(1697)、四面器:安土桃山時代~江戸時代(16世紀から17世紀 醍醐寺 [通期展示]
《理源大師坐像》一軀 江戸時代 安永8年(1779) 銅造 鋳造 醍醐寺 [通期展示]
醍醐寺は、江戸時代初期からは真言系の修験道である当山派の拠点寺院として発展しました。
室町時代末期の応仁・文明の乱で荒廃した醍醐寺の復興に尽力したのが第80代座主・義演です。
義演の兄が関白・二条昭実(にじょうあきざね)で、秀吉に関白を譲った人です。義演、昭実、秀吉には強い関係性があり、秀吉は醍醐寺の再建を支援しました。
《豊臣秀吉像》一幅 江戸時代(18世紀) 絹本着色 醍醐寺[通期展示]/《金天目及び金天目台》一口、一基 安土桃山時代(16世紀) 天目:木胎 金装、天目台:銅製 鍛造 鍍金 醍醐寺[通期展示]
《松桜幔幕図屛風 生駒等寿筆》六曲一双 江戸時代(17世紀) 紙本金地着色 醍醐寺 [前期展示]
秀吉亡き後も豊臣家による支援は続きました。
上醍醐五大堂本尊五大明王像は、大威徳明王像以外の4体は慶長13年(1605)の火災後、秀頼を施主として再興されたものです。
左から:《桜図屛風 山口雪渓筆》右隻 六曲一双 江戸時代(17~18世紀) 紙本金地着色 醍醐寺 [前期展示] (左隻は後期展示)/重要文化財《金剛夜叉明王立像(上醍醐五大堂五大明王像のうち)》一軀 頭部:鎌倉時代(13世紀)、体部:江戸時代 慶長10年(1605) 木造 彩色 醍醐寺[通期展示]/重要文化財《扇面散図屏風 俵屋宗達筆》二曲一双 江戸時代(17世紀) 紙本金地着色 醍醐寺 [前期展示]
醍醐寺は、《舞楽図屏風 俵屋宗達筆》[後期展示]などの近世の名画が多く伝わり、桃山文化の担い手としての一面も持っています。
近代以降もさまざまな作家から美術作品が納められてきました。
《醍醐寺の春 岸田夏子筆》一面 平成19年(2007) 油彩 カンヴァス 額装 醍醐寺[通期展示] 岸田夏子は、岸田劉生の孫にあたり、母は麗子像のモデルの岸田麗子です。
展示会場内で、スマホから「桜ミクが舞う。醍醐の桜のAR」を体験し撮影も可能です。
また、最新テクノロジ一とのコラボイベントも開催予定です。
※会期中に展示替えがあります
前期:6月15日~7月21日
後期:7月24日~8月25日