風刺画/10分でわかるアート
2023年3月29日
ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界/サントリー美術館

(中央)《鴉天狗像》河鍋暁斎 明治20年(1887)
サントリー美術館にて、「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界」が2026年6月21日(日)まで開催中です。
幕末から明治の激動の時代を、圧倒的な画力で駆け抜けた絵師、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい、1831-89)。
本展は、世界有数の暁斎コレクターである、イスラエル・ゴールドマン氏の珠玉のコレクションを紹介する展覧会です。

イスラエル・ゴールドマン氏
コレクション第1号となる記念すべき作品が《半身達磨図》です。この絵が放つ強烈なパワーが、その後の蒐集のきっかけとなりました。

《半身達磨図》河鍋暁斎 明治18年(1885)
今回は近年コレクションに加わった作品が多数出品されています。
展示される約110件のうち、約6割が日本初公開という驚きのラインナップが実現しました。
氏は暁斎を「日本を代表する偉大なアーティストの一人」と高く評価し、「暁斎は楽しい」とその魅力を語っています。

展覧会直前にコレクションに加わった、《加藤清正の虎退治》河鍋暁斎 明治16年(1883)頃~ 22年(1889)
暁斎は7歳で浮世絵師・歌川国芳に入門。のちに狩野派で本格的な修業を積みます。
独立後は、狩野派で磨いた高い技術を土台に、風刺や遊び心のある要素を組み合わせ、独自の画風を確立しました。
代表作の一つが《地獄太夫と一休》です。
緻密で格調高い描写の中に、がいこつが舞い踊るといった大胆なモチーフを取り入れ、既存の枠を超えた新しい表現を生み出しています。

《地獄太夫と一休》河鍋暁斎 明治4~22年(1871~89)
即興で絵を描くパフォーマンスが得意だった暁斎は、当時のイベント「書画会」の人気絵師でした。《書画会図》では、押し寄せる人びとを片手で制するようなポーズで暁斎が描かれています。

《書画会図》河鍋暁斎、奥原晴湖、滝和亭、ほか52名 明治9~11年(1876~78)頃
暁斎は、来日した欧米の知識人たちとも交流し、彼らを通じて世界に紹介されました。
イギリス人建築家ジョサイア・コンドルらは弟子となって絵を学んでいます。
晩年まで約20年にわたりほぼ毎日書き続けた日記には、書画会の賑わいや、コンドルの自宅で稽古をつけていたようすなども記されています。

《暁斎絵日記》河鍋暁斎 明治15~16年(1882~83) 場面替あり
暁斎は動物画を数多く手がけました。なかでも鴉(からす)と蛙(かえる)は彼の代名詞といえるモチーフです。
1881(明治14)年の第二回内国勧業博覧会で最高賞を受賞した鴉の絵は、当時の絵画相場をはるかに上回る高値で購入されました。
これをきっかけに鴉は彼の成功を象徴する画題となります。

(左)《枯木に夜鴉》河鍋暁斎 明治4~22年(1871~89)、(中央)《枯木に鴉》河鍋暁斎 明治4〜22年(1871-89)、(右)《旭日に鴉》河鍋暁斎 明治16年(1883)頃〜22年(1889)
3歳の時に初めて写生したと伝わる蛙は、暁斎の画業の原点です。
「鳥獣人物戯画」などの伝統を受け継ぎつつ、蛙たちが人力車を引いたり、学校へ通ったりする姿を通して、当時の人間社会をユーモラスに描き出しました。

《蛙の人力車と蓮の電信柱》河鍋暁斎 明治4~22年(1871~89)
さらに、師である国芳と同様に猫好きでもあり、愛嬌たっぷりの猫の絵も数多く残しています。

(左から)《猫と鯰の頭》河鍋暁斎 明治4~22年(1871~89)、《猫又図》河鍋暁斎 明治4~22年(1871~89)
暁斎の鋭い観察眼は、歴史上の英雄から街で見かけた外国人まで、あらゆる人びとに向けられました。
異国の人びとを描いた作品からは、当時の日本人が抱いていた海外への高い関心や好奇心が伝わってきます。

(左から)《万国人物図》河鍋暁斎 明治4~22年(1871~89)、《西洋人逍遥図》河鍋暁斎 明治4~22年(1871~89)
がいこつは暁斎が好んで取り上げたモチーフです。
《三味線を弾く洋装の骸骨と踊る妖怪》では、シルクハットを被り三味線を弾くがいこつの後ろに、日本刀が置かれています。
外見だけ西洋化した当時の日本人を、皮肉を込めて描いたのかもしれません。

《三味線を弾く洋装の骸骨と踊る妖怪》河鍋暁斎 明治4~12年(1871~79)
師から「画鬼(がき)」と呼ばれた暁斎にとって、鬼は怖いものではなく、親しみのあるモチーフでした。
室町時代の絵巻をアレンジした屏風には、彼が新たに創作した妖怪たちも登場します。
自由でユニークな発想が随所に見られ、躍動感あふれる妖怪世界が楽しめます。

《百鬼夜行図屏風》河鍋暁斎 明治4~22年(1871~89)
《酒呑童子図絵》は、有栖川宮家からの依頼で描いた作品です。しかし、描写が恐ろしすぎると返却されてしまい、代わりにイソップ物語の絵を納めたというエピソードが残されています。

《酒呑童子図絵》河鍋暁斎 明治11年(1878)頃
暁斎は、人間味あふれる姿で神仏を描いた作品も数多く手がけました。
《五聖奏楽図》は、聖人たちが楽しげに演奏するという、奇抜な発想が際立つ作品です。
一見パロディのようですが、実は明治期の宗教的混乱を映し出しています。

(左から)《異代同戯図》河鍋暁斎 明治4~22年(1871~89)、《五聖奏楽図》河鍋暁斎、橘機郎 明治4~20年(1871~87)
魔除けの神・鍾馗(しょうき)は、威厳あふれる表現からユーモラスな描写まで、その幅広さが見どころです。

(左から)《鍾馗の書画展観》河鍋暁斎、小野湖山、福島柳圃 明治4〜22年(1871〜89)、《鬼を蹴り上げる鍾馗》河鍋暁斎 明治4〜22年(1871〜89)、 《鍾馗騎象図》河鍋暁斎 明治零年代後半(1870年代中頃)、《秋田蕗摺絵鍾馗図》河鍋暁斎、島田立宇 明治4〜22年(1871〜89)
美術商であるゴールドマン氏が選んだ版画は、摺りが早く、保存状態が非常に良いことが特徴です。

《風流蛙大合戦之図》河鍋暁斎 元治元年(1864)7月 前期展示
なかには、現存が世界で一点しか確認されていない希少な作品も含まれています。
消耗品である団扇絵の《木槿に鳥》は、奇跡的に現代まで残された貴重な作例です。

《木槿に鳥》河鍋暁斎 慶応3年(1867) 前期展示
東京では3回目となるゴールドマン・コレクション展。氏は「これまでで一番良い展覧会になった」と語っています。
世界トップクラスの質と量を誇るコレクションは、暁斎ファンはもちろん、初めて彼の作品に出会う人にとっても、その魅力を存分に味わえる絶好の機会となるはず。
ユーモアとエネルギーあふれる暁斎ワールドを、ぜひ会場で体感してみてください。

フォトスポット
※本展出品作品は、すべてイスラエル・ゴールドマン・コレクション
※文中、展示期間注記のない作品は通期展示