倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙/世田谷美術館

アートとの境界にあるデザイン——倉俣史朗の創造の源泉にふれる【世田谷美術館】

2023年12月1日

倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙/世田谷美術館

バラの花が宙に浮かぶように封じ込められたアクリルの座面に、華奢でメタリックな紫色の脚を持った椅子。


倉俣史朗《ミス・ブランチ》1988年 株式会社イシマル蔵

《ミス・ブランチ》と名付けられたこの椅子は、35年前の1988年に、デザイナーの倉俣史朗によってデザインされたものです。

いまや伝説のデザイナーともいわれる倉俣史朗にフォーカスした、東京では27年ぶりとなる回顧展が東京の世田谷美術館ではじまりました。

倉俣の没後30年を超えて、倉俣史朗という人間と作品を検証し、その詩情あふれるデザインを読み直します。


没後30年を超え、デザイナー・倉俣史朗を捉え直す

デザイナー・倉俣史朗とは

倉俣史朗は、1934年東京生まれのデザイナー。


倉俣史朗の肖像(展覧会展示風景より)

1965年に独立した後、バーやレストランのインテリアや、代表作の《ミス・ブランチ》や《硝子の椅子》、《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》といった、デザインとアートの境界に位置するような独創的な家具のデザインを手掛けました。

1991年、56歳の若さで急逝した彼ですが、今もなお多くのデザイナーに影響を与えています。

「倉俣史朗自身」とその作品を紐付ける展覧会

本展の会場は、倉俣が晩年を過ごした世田谷区にある世田谷美術館。

展覧会では、彼のキャリアの初期から晩年までを大きく4つの時代に分け、各時代のテーマごとにその仕事を実際の作品と写真で紹介しています。


「倉俣史朗のデザイン ―記憶のなかの小宇宙」(世田谷美術館)展示風景

さらに、彼の思考の背景に迫るスケッチや言葉、夢日記、そして愛蔵していた書籍やレコードともあわせ、彼自身と作品の関係を探ります。

依頼を受けずに制作されてきた アートのような家具

アートとデザインの境界にあるようなオリジナルの家具

展示室には、倉俣の制作した多くの家具が並びます。


「倉俣史朗のデザイン ―記憶のなかの小宇宙」(世田谷美術館)展示風景

1965年にデザイナーとして独立した倉俣は、店舗の内装やオリジナル家具の制作を開始しました。

その家具は、無色透明のアクリルで制作された家具や、大きさの異なる引き出しのついたキャビネットなど、独創的なデザインばかりです。


(左)倉俣史朗《プラスチックのワゴン》1968年 クラマタデザイン事務所蔵
(右)倉俣史朗《プラスチックの家具 洋服ダンス》1968年 大阪中之島美術館蔵

当初は「使っていない時にも、視覚的に美しい家具」を目指していましたが、後に「使うことを目的としない家具、ただ結果として家具であるような家具」に興味を持つようになったといいます。

アートのような家具が生まれた背景とは?

こうした家具は、販売されることを前提とせず、自主的に制作されてきました。


倉俣史朗《引出しの家具》1967年 富山県美術館蔵

そのきっかけは、独立した頃、デザインした家具の製品化が進まなかったという経験から。独自のアイデアを形にするため、自分で費用を出して試作を重ねたといいます。

商業的な判断から距離をおいたことで、アートのような作品が生み出されていきました。


倉俣史朗《七本針の時計》1967年 個人蔵

また、インテリアの仕事においても、横尾忠則や高松次郎といった現代アーティストたちとの協働を行い、その仕事の様子は展覧会のスライドショーの中で紹介されています。こうした美術家たちとの親交も、デザインとアートをつなぐ一因となっているのかもしれません。

素材を活かしたデザイン

1969年から、倉俣の家具はよりシンプルながらも力強いデザインとなっていきます。

例えば「オバQ」の愛称で親しまれるランプシェード。乳白色のアクリル板で制作されたものですが、白く柔らかい布をかぶせたような軽やかな形状に、光の柔らかさも感じられます。


(左から)倉俣史朗《ランプ(オバQ)[大] 》1972年 クラマタデザイン事務所蔵、倉俣史朗《ランプ(オバQ)[小] 》1972年 クラマタデザイン事務所蔵、倉俣史朗《光の椅子》1969年 富山県美術館蔵、倉俣史朗《光のテーブル》1969年 京都国立近代美術館蔵

展示室には、ガラスや金属などさまざまな素材の特徴と、加工方法を活かした独創的な家具が並びます。こうした作品の中でも目をひくのは、ガラスだけで制作された《硝子の椅子》です。


(左)倉俣史朗《トワイライトタイム》1985年 石橋財団アーティゾン美術館蔵
(右)倉俣史朗《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》1986年 富山県美術館蔵

ガラス同士を接着できる接着剤の存在を知ったことから生まれたこの作品は、まさに板ガラスそのものの素材を活かし、最小限の構造でつくられています。

(左)倉俣史朗《硝子の椅子》1976年 京都国立近代美術館蔵
(右)倉俣史朗《硝子の椅子》1976年 富山県美術館蔵

倉俣は、職人たちと新しい素材や加工の話をしながら、軽いフットワークで実験的な制作に取り組んでいったといいます。先端の加工方法を活用し、これまでにないシンプルで洗練されたデザインをつくりだしてきたことが分かります。


倉俣史朗《椅子の椅子》1984年 富山県美術館蔵

倉俣史朗のデザインの源泉にあるものは?

時代を超える名作《ミスブランチ》

倉俣は1981年に「メンフィス」という若手建築家やデザイナーらの活動に参加し、作風が変化していきました。

最後の展示室には、晩年の作品が展示されています。これまでの作風とは少し変わった、カラーのアクリルを使用した華やかな色合いの作品が並びますが、その中でも特に目を引くのは、名作《ミス・ブランチ》です。


(左)倉俣史朗《ミス・ブランチ》1988年 株式会社イシマル蔵
(右)倉俣史朗《ミス・ブランチ》1988年 石橋財団アーティゾン美術館蔵

映画『欲望という名の電車』の主人公ブランチ・デュボアから命名されたこの椅子。透明なアクリルの中に閉じ込められたバラの花は、倉俣が生涯テーマとしていた「引力」から逃れ、「永遠性」を獲得しているようにも感じられます。


(左)倉俣史朗《アクリルスツール(羽根入り)》1990年 京都国立近代美術館蔵
(右)倉俣史朗《アクリルスツール(羽根入り)》1990年 石橋財団アーティゾン美術館蔵

同様にアクリルに羽根を封じ込めた《アクリルスツール(羽根入り)》や、カラフルなアクリルの家具など、その作風は変化したように見える一方、彼の探求するテーマやアートとの境界にあるようなデザイン、ユーモアなどは初期から一貫していることに気づきます。


倉俣史朗《バー オブローモフの模型》1990年 石橋財団アーティゾン美術館蔵

「記憶のなかの小宇宙」から生み出されるデザイン

最後には、過去にはあまり公開されてこなかった倉俣の夢日記や言葉、スケッチも展示されています。


倉俣史朗によるイメージスケッチ

今回の展覧会タイトル「記憶のなかの小宇宙」は、倉俣のエッセイからの言葉です。

彼はその中で、幼い頃にさまざまな素材や道具と出会った思い出とともに、”夢の体験も含めて記憶は無限の宇宙を構成してくれる”と記しています。

過去の記憶や夢の中の想像力も、独自のデザインにつながっているのかもしれません。


「倉俣史朗の私空間 書籍とレコード」の展示コーナー

まとめ

倉俣史朗の没後30年を超え、改めて彼の最初期からの仕事を振り返る、東京では27年ぶりとなる本展覧会。

展示作品はどれも30年以上前で、50年以上も前にデザインされた作品でありながら、古さを感じさせず、現代でもその洗練されたデザインに驚きを感じる展覧会でした。


(左から)倉俣史朗《コパカバーナ》1988年 石橋財団アーティゾン美術館蔵、倉俣史朗《ハンドバッグ [試作] 》1988年 石橋財団アーティゾン美術館蔵、倉俣史朗《アモリーノ》1990年 石橋財団アーティゾン美術館蔵

巡回展は、富山県美術館(2024年2月17日〜4月7日)、京都国立近代美術館(2024年6月11日〜8月18日)と、それぞれ生前より彼のデザインを紹介し、没後にその家具を収蔵してきた、倉俣史朗とつながりの強い美術館で開催されます。

今、改めてそのデザインと出会ってみませんか?

Exhibition Information