風刺画/10分でわかるアート
2023年3月29日
心惹かれるチャイナドレス —— 100年前のモダン都市に生まれた美の装い/日中友好会館美術館

日中友好会館美術館にて、「心惹かれるチャイナドレス」が開催中です。
「身にまとう・時をひらく」をコンセプトに、約100年前の中国でどのようにチャイナドレスが生まれたのかを紹介します。
皆さんは「チャイナドレス」と聞いて何を思い浮かべますか?
鮮やかなプリント?スラリとした美しいシルエット?それとも大胆なスリットでしょうか。

チャイナドレスは、満州民族の伝統衣裳「旗袍(チーパオ)」と呼ばれるものが起源です。
この旗袍が約100年前、中国の近代化によって改良され、1930年代に漢民族の装いとして成立。これが、私たちの想像するチャイナドレスです。

展示は時代ごとに、まずは古代中国の衣裳を展示。
体を覆うようなツーピース型が伝統的な服装で、時代が進むと男性はワンピース型を着用するようになりましたが、女性は引き続きツーピース型を身に付けました。
衣裳の形や色、模様などで身分や立場が分かるようになっており、展示室でも目を引く鮮やかな黄色の衣裳は明・清時代の皇帝が着用していたものです。

黄色は皇帝だけが着用できた色で、よく見ると中国で縁起の良い数字「9」にちなんで、9頭の龍が施されています。
デザイン性よりも、自分の権威を示すためだったり、機能性が重視された古代中国。
20世紀に入ると、「男女平等」の思想が広まり、女性もワンピース型を身に付けるように。伝統的な衣裳も、どんどん形を変えていきます。
近代化によって西洋の文化や技術が広まると、知識人などを中心に生活様式が変化していきます。

女性の衣裳も、伝統的なツーピースの形を少し変化させたものが見られるように。
それまでは体を完全に隠していたものから、足首が見える丈になったり、衣裳の中に西洋のデザインを取り入れたりしました。
また、この頃の中国文化「纏足(てんそく)」も関連展示として登場。

纏足とは、女性の足を小さく変形させる慣習で、大きな痛みを伴うことから女性の行動の自由を奪いました。
この頃の中国では、男性が外で働き女性は家にいるのが望ましい、という考え方があり、纏足は女性の貞淑さや豊かさを表すものでもありました。

政府による纏足廃止の呼びかけが出されても、完全な廃止には50年以上かかったそう。
いくら女性のための社会運動であっても、当時のリアルな社会では纏足は「美の象徴」。良い縁談のためにも重要な条件だったそうですから、簡単にやめようとしなかったのも納得できます。

大切にしてきた文化とめまぐるしい時代の変化に折り合いをつけながら、いよいよ新時代が到来します。
1920年代後半、上海の外国人居留地を通じて急速に西洋の文化が広まっていきます。
百貨店やダンスホール、映画館、洋食レストランなど・・・上海のモダンなライフスタイルはこれまでの社会を一変させました。
そして新たなファッションが流行します。それが女性らしさを引き立てる上海スタイルのチャイナドレスでした。

本展では1920年代、上海で流行したチャイナドレスをメインに展示。
伝統的な平面裁断ではなく、立体裁断を取り入れることで身体の曲線を強調するようなシルエットが表現できるようになります。
また、生地も西洋のレースや花模様などが見られるように。これまでとは全く違う、デザイン性が重視される時代がやって来ました。

ぴったりとしたシルエットと大きなスリット、襟の形はまさに「チャイナドレス」のイメージそのものですね。

近代化によって生地は大量生産できるようになりましたが、この時代のドレス自体は全てオーダーメイドでした。
自分だけのデザイン、自分のためのサイズ・・・現代から見るととても贅沢ですよね。

張りのある素材や、男性向けの素材、ドレスを意識した形など、チャイナドレスひとつひとつに個性が光ります。

こちらの白いチャイナドレスは、1930年代中期に流行したもの。
西洋のドレスの影響を受け、裾が床に届く長さに。これが掃除をしているように見えることから「掃地旗袍」と呼ばれました。
これにハイヒールを合わせたスタイルが流行ったのですが、とても歩きにくかったそうです。でも、モダンガールは我慢して着こなしていたのでしょう。
チャイナドレスの変遷を時代ごとに見ることができる本展。
チャイナドレスの変遷の裏にはどんな出来事があったのか?新時代の装いを通して、女性たちは何を感じていたのか?
「伝統」と「個」のはざまに生き、時代を切り開いていった女性たちの強さや意志を感じる展覧会でした。

入場無料でこれだけのチャイナドレスを見られる機会はなかなかないですよ。是非行かれてみてくださいね。